ひゅうまん京都

WEB版 『ひゅうまん京都』

 

 
 
特集・障害者の所得保障を考える

自立生活のための所得保障(下)(04年2月号)

鈴木勉(佛教大学教授)     

鈴木勉さん■ナショナルミニマムとは

 社会政策の領域にナショナルミニマムという考え方があります、直訳すると「国民的最低限」。

 ロブソンという学者は、「ナショナルミニマムとは、国家が最低賃金や社会保険及び、政府の施策などにおいて最低基準を定め、最悪の貧困原因を除去する」と説明しています。

 ここで注目すべきは、所得保障だけでなく、生存、医療、教育、住宅、栄養などさまざまな領域を視野に入れていることです。ところが残念なことに、たとえば住宅を例に取るとわかりますが、日本には住宅の最低基準はありません。 ナショナルミニマムを広く捉えることによって、憲法25条がいう「健康で文化的な最低限度の生活」が、所得の問題だけでなく、多面的なものであるという考え方が出てきます。

   それは、生存ギリギリの劣悪な水準ではなく、また、絶対的な基準ではなく、各国の時代における一定の国民生活に関連するというのが社会的歴史的概念で、すべての国民にいかなる場合にも保障するという考え方です。

 これが実現すると国民の間から貧困が除去されることになります。残念ながら、日本では、朝日訴訟、堀木訴訟の最高裁判決のように、国の努力目標のようなもので、国家責任で国民のナショナルミニマムの権利を保障するという考えは認められていません。

 では、生活保護基準や年金基準はナショナルミニマムかというと、そうではありません。行政官庁と政権党の政治的思惑による指導や財源の政治的配分による行政基準だと考えます。

■所得保障とナショナルミニマム

 所得保障でいえば、健康で文化的な生活を営める水準に拠出制年金、無拠出制年金の給付額を引き上げる必要があります。少なくとも今の生活保護基準以上にするべきです。 現在は生活保護基準の下に年金があり、とりわけ無拠出制年金はもっとも低いのはもってのほかです。

 生活保護はもともと「足らざるものを補う」という、補足性の性格をもっていると考えられています。何らかの事情で、受給している年金が極めて低い場合に生活保護があり、恒常的に受給することは不正常だと考えます。

 しかし、このような事態が日常的にあるということは、年金や手当てなどの所得保障政策が確立していないことも明らかにしています。

 また、すべてを所得保障制度に対応させるのではなく、他の社会保障制度や雇用保障制度においてもナショナルミニマムを確立させることが必要です。例えば就労保障においてのナショナルミニマムが確立すれば、所得保障給付は必要なくなることも考えられます。

■所得保障で福祉は実現するのか

□受給した年金は何処へ□

 私も参加して、「無年金障害者をなくす会」を作り、広島を中心に現在二百名近くの方が障害基礎年金の受給が実現しました。そのなかでも私は知的障害の方のサポートに注目してきました。

 ある日の相談会に少し早く出かけ、お母さんたちが会合の準備をしているところで、「年金が受給できるようになって、どのように使っているか」を聞いて見ました。

 子どもは二十歳代で、夫は働き盛り、まだ若い世代に属するお母さんたちは、「年金は貯金しています」、「親がなくなったときはお金が頼りでしょ」という答えが大部分を占めました。

 親も元気で働けていることだし、自分ももし同じ立場だったらそうするかもと思いながらも、愕然としたことを思い出します。そして、「子どもたちはそのお金を自分で使うことが出来るのか?」と聞くとみなさん「ノー」と答えられた。

 このあと、「親亡きあと親戚が来て財産を取り上げたり、きょうだいだっていつまでも仲が良いとは限らない」と話すと、「それはわかっているが・・・」と絶句してしまわれました。

 会話をしながら「年金受給で福祉は実現していない場合が多い」と実感したひと時でした。

□潜在能力発達への支援□

 98年度にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センの福祉アプローチは学ぶ意義があります。これまでの福祉経済学の議論には二つの考え方がありました。「財や所得が大きければ大きいほど福祉は実現する」という考え方と、「福祉は満足度の高いほど福祉は実現している」という考え方があり、前者が主流となっています。

 しかし両方とも間違っているとアマルティア・センは言います。

 「長く抑圧された貧しい状態に置かれた人たちは、過大な要求を持たない。どんな夢も今まで実現したことがないから、ちょっとした喜びや慰めも大きな喜びとなる。しかし、それは主観レベルで満足しても客観的にウエルビーイングとはいえない」とそのズレを指摘し、財や所得の特性を人間が活用できるか否かという人間の諸機能を評価して、その人の「基本的潜在能力の発達」を図ることが「福祉の目的」と述べています。

   つまり、潜在能力の発達への支援があわせておこなわれなければ、所得保障のみの給付では、所得保障の使命が完了したとはいえないということです。

   年金受給を、知的障害をもった人の自立や発達の条件とするためには、能力障害に配慮しながらも、お金を使う機会を多様に設定することや、同時に、自立はすべて自分ですることではなく、自分の力で他人の力を借りるようにできることなどが大切です。

 所得保障制度はナショナルミニマムを保障することでその使命が完遂されるのではなく、その給付を人の「基本的潜在能力の発達」につなげるためには、福祉サービスの併用と結合が不可欠であることを示しています。

(「下」終わり)


 
 


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