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☆2010/9/3更新☆

 プラカーシュ・カラートインド共産党(マルクス主義)書記長などが、日本共産党の京都府会議員団、市会議員団と懇談したと、『しんぶん赤旗』(8月30日)が報じている。この懇談は、「地方議会のなかに占める日本共産党の比率が全国的に高い京都で、日本共産党の議員がどのように住民の要求を取り上げ、実現する活動をしているのかを知りたい」というインド側の要望でおこなわれたともある。

 「京都で日本共産党は大きな力を持っている理由は?」とのカラートさんの問いに、穀田恵二衆院議員は「西陣織など地場産業中心の中小零細企業応援、28年間の民主府政の実績、京都独自の進取、反骨の精神がある」ことなどを紹介したとある。

 もし、僕が同じ質問を受けたら、京都の人の「学問力」「教育力」の高さを上げるだろう。明治を迎える前にも人々の文盲率は低かった。女の人も含めて、町のあちこちにあった「塾」におおくのひとが通っていた。京都に天皇が(征夷大将軍を任命する)いたこともあって(藩がなかった)、「公定の学問」(藩が決めた)が人々に押しつけられることもなかった。

 江戸の政府は、「参勤交代」を各地の大名に押し付けた。この行列に出会うと(「したーにー,下ーにー」)、人は道路に膝まづかねばならなかったが、行列が京都の街に入らないで南の方を迂回してとったこともあって、京都の人は「大名」に「土下座」をすることもなかった。戊辰戦争のさなか、大量の「番組小学校」をつくったのも京都の人だった。

 番組小学校をつくったのは「権力」ではなかった。すんでいる人が作った学校で「住民立」といえる教育機関だった。その学問、教育で最も大切にされたのは「自由」だった。「教養」も尊重された。源氏物語からとった学校名が今も残っているように住民の「教養水準」には高いものがあった。そこには「精神の自由」があった。

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