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☆2019/11/15更新☆
【読書雑記587】『花の妹 岸田俊子伝 女性民権運動の先駆者』(西川祐子、岩波現代文庫、1460円+税)。岸田俊子は、自由民権運動の高揚期に活躍した人だ。京都の呉服商の家に生まれ、明治期の自由民権運動と出会い、10歳代の(!!)彼女の演説は、「女演説」として評判を呼んだ。その鋭い政府批判の演説は、集会条例違反で逮捕されるほどのものだった。
その後、元自由党副総理・中島信行と結婚し女子教育にも携わった彼女の波瀾万丈の生涯を描いた評伝小説。東京遷都後の京都(番組小学校も登場する)や、各地の自由民権運動、国会開設前後の東京など、時代の息吹も伝える労作だ。
中島湘煙(しょうえん、1864〜1901年。本名は俊(とし)、のち俊子(としこ)に改名、結婚前の旧姓は岸田)は、土佐藩出身の神奈川県令・中島信行の後妻となり活動した。
京都で生まれた彼女は、1877年に京都府女子師範学校に入学するが、病気のため退学、79年に宮中文事御用掛として出仕し、皇后に漢学を進講したという(恐ろしく早熟な人だった)。その後、各地を訪れ高知で自由党員を識る。82年京都に戻り、同年、中島信行(その後の結婚相手)らの日本立憲政党の大阪での演説会で「婦女の道」の題で演説したという。
83年、滋賀県での演説後、逮捕され入獄した。84年に上京し、85年、中島信行とともに受洗。86年頃中島家に入り、『女学雑誌』に湘煙の筆名で論説を発表する。87年には、翻案『善悪の岐(ふたみち)』を粧園女史の筆名で『女学雑誌』に発表。
同年秋、新栄女学校の和漢学科主任になる。同年12月、保安条例により信行とともに東京を退去し、横浜に移り83年、『女学雑誌』に漢詩を発表した。同年5月頃、フェリス和英女学校名誉教授になった。89年には、小説『山間の名花』を『都の花』に発表した。92年、イタリア公使になった信行とともにローマに出発した。多芸多才な彼女ではあった
Smart Renewal History by The Room
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