編集長の毒吐録
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☆2019/11/28更新☆

上田市に、治安維持法で、40人以上の俳人が検挙され、そのうちの何人かが投獄されるなどの事件を忘れないとして、「俳句弾圧不忘の碑」が建立された。2018年2月のことだった。俳句弾圧を考える刻、「京大俳句弾圧事件」を忘れることはできない。新興俳句弾圧事件あるいは昭和俳句弾圧事件と呼ばれる弾圧事件は、1940年から43年の間に行った事件で、新興俳句の俳句誌・俳人に対する一連の言論弾圧事件の総称。対象となった俳人が逮捕され、俳句紙の多くは廃刊に追い込まれた。契機となった『京大俳句』の弾圧を「京大俳句事件」とも言う。

33年に創刊された『京大俳句』は「作風と批判の自由」を標榜した。しかし、戦意高揚の俳句作成や使う季語すら国が推奨される時代に、厭戦や反戦の俳句を次々と掲載したことから特高から睨まれるようになり、3次にわたる直接弾圧の対象になった(第1次・40年2月、第2次・40年5月、第3次・40年8月)。一連の弾圧事件の最後は『蠍座』(43年12月)である。

渡辺白泉(1913年〜69)は東京の俳人。昭和初期の新興俳句運動において無季派の俳人として活動した。1940年の『京大俳句』弾圧事件の犠牲者、執筆活動停止を命じられた。白泉の句は戦争に向かう社会を突いたがゆえに、戦争遂行勢力に弾圧された。彼も侵略戦争の犠牲者だった。

 <街燈は夜霧にぬれるためにある> <三宅坂黄套わが背より降車>(三宅坂は陸軍省と参謀本部を意味した) <戦場へ手ゆき足ゆき胴ゆけり> <憲兵の前で滑つて転んぢやつた> <戦争が廊下の奥に立ってゐた> <銃後といふ不思議な町を丘で見た> <夏の海水兵ひとり紛失す> (西東三鬼 <機関銃眉間ニ赤キ花ガ咲ク>)

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