編集長の毒吐録
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☆2019/11/29更新☆

【読書雑記591】『「誉れの子」と戦争 愛国プロパガンダと子どもたち』 (斉藤利彦、中央公論新社、1700円+税)。 アジア・太平洋戦争の最中、戦没者の子どもたちは、「誉れの子」とか「靖国の遺児」と呼ばれたという。戦時下の日本にあって、毎年五千人を超える子どもたちが、靖国神社に参集した。「社頭の対面」と言ったそうな。

この行事を通して、国家は何を意図し、どのような効果を期待したのか。肉親の死を利用して、国家への忠誠を煽り、さらに戦争へと駆り立てるという仕組みだった。子どもが担わされた戦時中の役割を本書は追う。

表紙の少年は戦没兵士の遺児の一人、八巻春夫さんである。当時「誉れの子」と呼ばれていた遺児を全国から集め、靖国神社に参拝させる式典が、1939年から開催された。「社頭の対面」というこの行事では、総理大臣らによる訓示が行われ、皇后から「御紋菓」が下賜されたという。写真は、八巻さんが御紋菓をおしいただき「有難さの感涙にむせんだ」場面として、内閣情報局編輯の、あの有名な『写真週報』に掲載された。
 
著者は、2917年に八巻さんを探し当てた。八巻さんが語ったのは、写真の頰に伝う涙は、情報局担当官の指示で差した目薬によるものであること、それ以外の写真も職員が演出していたという事実だ。「社頭の対面」は情報操作の一環だった。「総力戦」が叫ばれたこの時期、戦死者およびその遺族の数は急増していた。一家の大黒柱を失い困窮する遺族・遺児に対しては、一定の生活扶助や学資補給が行われていたが、その範囲や金額は厳格に定められており、遺族は厳しい生活に耐えた。

国家は遺児らに対し、「お父様の名誉を汚さぬよう」「お国の為に尽くせよ」と求めた。のみならず、「社頭の対面」行事において遺児らが国家・天皇・軍に対して示した「感激」と「尽忠報国の精神」を華々しく報道することは、国民全体の「教化」の手段とみなされていたのである。

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