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☆2019/11/30更新☆
<⓬木村万平、川端道喜と京都市政> 木村万平(1924年〜2014)は、「市民本位の民主市政をつくる会」の候補者として、1989年の京都市長選に立候補、321票差で敗れたが、「京都らしさを守れ」、の訴えは市民の心を捉えた。「応仁の乱以来」と言われるまちこわしが進む中、「住環境を守る・京のまちづくり連絡会」代表である彼に期待が集まった。
84年の『朝日新聞』の「声」欄に「アジア軽侮の諭吉なぜ札に」と題する、木村の投稿が載った。新1万円札の肖像に福澤諭吉が選ばれたことに反対する論考だ。<・・アジアに対して強硬な侵略的国権論者であったことも、よく知られている。ことあるごとに「時事新報」などに侵略的言辞を載せた・・(明治)十八年の「時事新報」に有名な「脱亜論」を載せ、日本は「西洋の文明国と進退を共にし」、中国・朝鮮に対して「西洋人が之に接するの風に従って処分すべきのみ」と述べた。最高額のお札になぜ福沢の肖像が選ばれたのか。関係者の国際感覚の欠如は理解に苦しむ。私は新札の廃止を切望する>と木村は主張した。
『和菓子の京都』(岩波新書、1990年)の著書もある15代御粽司川端道喜は、「50年先、100年先にも誇れる京都を残せ」を掲げて、89年の京都市長選に、「21・京を創る懇話会」(僕はこの会の事務局長)の代表として参画した。「川端道喜」は16世紀始めの創業とされており、塩餡で包んだ餅を御所に毎朝献上し、「御朝物」(おあさのもの)と呼ばれるようになり、それは明治の時代まで儀式として定着していたという(京都御所に専用の門を「道喜門」がある)。/「老舗中の老舗」ともいうべき川端道喜の当主の参画は、「京都らしさを守れ」の訴えを裏打ちした。
これまで、≪❶四方文吉(しかたぶんきち)と建物疎開/❷堀川弘道と「映画の都」/❸ヴォーリズと洋風の近代建築/❹渡辺白泉と『京大俳句』の弾圧/❺斎藤雷太郎と『土曜日』/❻夏目文夫と障害者・❼茂山千之丞と伝統の世界/❽花谷暉一と原爆被害/❾早川一光と医療/❿竹喬、華楊と日本画/⓫壽岳章子と市民運動≫と書いてきました。これらは、『近代の京都を創った人たち』として冊子にまとめられます(ウイン京都、100円+税)。
Smart Renewal History by The Room
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