編集長の毒吐録
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☆2019/12/13更新☆

【読書雑記595】『日本で生まれた中国国歌  「義勇軍行進曲」の時代 シリーズ日本の中の世界史❹』(久保亨、岩波書店、2400円+税)。中華人民共和国国歌を日本で作曲した聶耳、中国国民党の幹部・邵元冲と張黙君夫妻らは留学などを通して日本と深い関係を持っていた。彼らは日本に何を求めたのか、日本は彼らの期待に応えられたのか。彼らの眼に映った20世紀初頭の日本の姿を描き、日中関係の原点を問うた。

本書は、中国の国歌「義勇軍行進曲」が1935年に生まれるまでの経緯を、20世紀初頭の日中の知識人・文化人との交流を軸に描いた著だ。作詞者の田漢は、若い頃、東京高等師範学校に留学していた。作曲者の聶耳は、東京で楽譜を完成させて上海に送った。これが、本書の書名に反映されている。

辛亥革命前の孫文と日本、周恩来が若い頃に日本で学んでいたことなどは良く知られている。本書ではさらに、さまざまな日本人が、中国の留学生と交友し、あるいは援助していたことを述べる。当然ではあるが、著者は、日本および日本人が、中国の近代化に多大な貢献をしたと称揚はしない。

著者は、<近代中国の知識人にとって、日本は決して終着点でなかたことに注意しなければならない。近代世界に目を開いた中国の人々にとって、その入口にあったのが日本だったに過ぎない>と述べる。中国の国歌である「義勇軍行進曲」は、日本および日本人が、「東洋鬼」と呼ばれていた時代だと言われる。

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