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☆2020/1/4更新☆
【読書雑記601】『キネマ/新聞/カフェー 大部屋俳優・斎藤雷太郎と『土曜日』の時代』 (中村勝/著、井上史/編集、ヘウレーカ、2500円+税)。本書は、1984年、京都新聞に連載された「枯れぬ雑草 斎藤雷太郎と『土曜日』」をまとめたもの。著者(2019年1月死去)は当時、同紙の記者だった。雷太郎への聞き書きを中心に、生涯と『土曜日』、その前身となった『京都スタヂオ通信』の発刊のいきさつなどを含めた99回の連載分に加え、編者の解説が収められている。
雷太郎の役者人生、幼少期からの暮らしぶり、大部屋俳優時代に関わることとして新聞連載時に映画ファンから情報提供のあった昭和初期の映画界の盛衰など、その生涯や当時の時代背景などを追う。雷太郎があの「暗い時代」になぜ新聞を発行したのか、知識人が書く新聞ではなく「読者の書く新聞」を目指したのはなぜか。最後まで「貧乏人に対する裏切りができなかった」という雷太郎という人物を追う。
1930年代半ば、京都で『土曜日』という隔週刊新聞が刊行された。1年4カ月という短い刊行期間にもかかわらず、『土曜日』は民衆と人間への信頼を語りつづけた新聞として、戦後、研究者らから「日本における反ファシズム文化運動の記念碑的な出版物」と賞賛されている(僕は『近代の京都を創った人たち』で扱っている)。
『土曜日』の編集者だった雷太郎、中井正一、能勢克男、執筆者だった新村猛らが治安維持法で検挙されているが、彼らの紙上での言説が「共産主義」「暴力革命」とは無縁であったことを特高は知っていたようだ。「79 検閲に細心の注意」にある、「平和」「戦争反対」「思想の自由」「学問の自由」といった言葉が口にしにくくなったという、和田洋一同志社大名誉教授の言葉も印象的だ。雷太郎の根底にある「貧乏人に対する裏切りができなかった」という気持ちを、今の時代のジャーナリストや編集者に受け継いでほしい。
Smart Renewal History by The Room
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