編集長の毒吐録
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☆2020/1/30更新☆

≪期日前投票が始まり、2月2日に投開票される京都市長選に寄せて≫❻ ノンフィクション作家の金賛汀(キムチャンジョン)は81歳で亡くなった。京都市西陣に生まれた彼は、朝鮮総連が発行していた機関紙記者を経てフリーの物書きになり、多くの仕事をした。何十冊もある彼の作品の読者に過ぎなかった僕<『浮島丸釜山港へ向かわず』(講談社その後かもがわ出版)、『抵抗詩人尹東柱の死』(朝日新聞社)、『異邦人は君ケ代丸に乗って 朝鮮人街猪飼野の形成史』(岩波新書)、『甲子園の異邦人』(講談社)などを読んだ>が、チャンジョンさんと直接語りあうようになったのは、1992年、浮島丸の爆沈事件を映画にしようという時期だった。その後の韓国旅行中、ホテルが同室だったこともあり、実に多くのことを語り合い、多くの事柄を教えてもらった。全斗煥(チョンドファン)の軍が起こした光州(クワンジュ)の事件(光州民主化運動)現場や宿泊所での語らいは忘れがたい。

神戸の病院院長、事務長を交えた語らい、京都の大成功者の社長室での説明(『甲子園の異邦人』を物にした彼ならではだった)、映画をつくる会でのミーティング、喫茶店での討論など数えきれない語らいがあった。1993、96,2000年の3回の京都市長選挙での応援も忘れがたい。表面に出ることは一切なかったが、影響力を発揮して、多くの人にあわせてくれた。多くは在日の人ではあったが、僕は彼らの声に耳を傾けた。96年選挙時の、「定住外国人の地方参政権」はそこから生まれ、候補者公約にもなり、その後ブックレットに纏められ、集会も開かれた。彼の働きかけ、紹介で、李恢成(イフェソン、芥川賞、『伽倻子のために』などを読んでいた)は、政策カーに乗り、演説もしてくれた。

最後にお目にかかったのは、戦後70年を記念した映画『エイジアン・ブルー 浮島丸サコン』の上映会場であり、彼はシンポジウムや懇親会に参加してくれた。最近の読書は『非常事態宣言1948 在日朝鮮人を襲った闇』(岩波書店)だった。

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