編集長の毒吐録
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☆2020/1/29更新☆

≪期日前投票が始まり、2月2日に投開票される京都市長選に寄せて≫❺ 多田富雄(1934年〜2010年)と初めて会ったのは、僕らが主催した1999年5月3日の「反核・平和のための能と狂言のつどい」(京都・金剛能楽堂)であり、京都市長選候補であった僕が、彼と親しくお話しをしたのは打ち上げの会だった。このつどいで、多田富雄作の新作能『望恨歌』(ぼうこんか)を、観世榮夫が舞った。戦時中日本に強制連行されて働かされた朝鮮人の悲劇を扱った作品であり、日本人に反省を迫る作品だった。また、観世榮夫は、僕の出版パーティーの呼びかけ人であった(『革新的保守市政宣言』かもがわ出版)。

<これが 「文明国」 と称する日本の現状である。「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」 と定めた憲法25条は、脳卒中患者には当てはまらないとでもいうのだろうか。リハビリをすれば社会復帰できたのに、寝たきりたになった患者の人権はどうなるのか。最後の命綱を断ち切られて、命を落とした人に涙を注がないのか。この日本で、難民ではなく医療を奪われた棄民が発生したのだ。リハビリ医療の度重なる制度改悪は、最弱者である患者の最後の希望を打ち砕き、・・病院を疲弊させた。医療は崩壊ではなく、破壊されたのだ。最弱者を狙い撃ちにするような非人間的な制度は、即刻撤廃すべきだ>(『朝日新聞』09年3月2日脳卒中患者 リハビリ医療を奪われた 「棄民」)。

多田富雄の怒りが世論を動かし、制度を変えさせた。同じ病(「脳幹梗塞」と病名は違ったが・・)の経験者として、彼が身近になった。その後、「メル友」にもなって親交が続いた。

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