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☆2020/3/22更新☆
月刊誌『人権と部落問題』4月号に、「<基本合意>10年ー障害者の人権保障をめざしてー」と題する拙稿が載っている。以下はその全文。
東京の参議院議員会館(1月7日)、衆議院第1議員会館(8日)で開かれた、「障害者権利条約・基本合意・骨格提言の実現めざす 基本合意10年全国集会」と「基本合意10年原告集会」に参加しました。
「応益負担」原則を掲げ、「障害自己責任」に貫かれた障害者自立支援法は、2005年10月に成立し、06年4月に施行されました。この法への不同意と批判には強いものがありました。障害者などを原告として、08年10月、地裁に提訴しました(最終的に14地裁71人の原告。僕は京都訴訟の原告)。09年9月、長沼厚労大臣は廃止を明言、10年1月7日、国は、障害者自立支援法が、障害者・家族の尊厳を深く傷つけたことを認め、法の廃止と新法制定を確約し、「障害福祉施策の充実は、憲法等に基づく障害者の基本的人権の行使を支援するものであることを基本とする」と約束しました。「基本合意」です。
僕の事情をいうなら、法が成立・施行された時は「健常者」=「非障害者」でしたが(脳梗塞で倒れたのは2006年8月12日)、退院後の2008年10月に提訴がありました。
ここで強調したいのは3点です。
第1は、障害者自立支援法の不当を訴えるために、集団で訴訟を起こしたことです。その訴訟は、起こった事件を振り払うものではなく、攻勢的なそれでした。
第2は、この訴訟運動が憲法闘争の面を持ったということです。訴訟運動は、第13条(すべて国民は、個人として尊重される)、第14条(すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない)、第25条(すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)を掲げました。
第3は、この運動が、障害者運動の質を変えたという点です。1例を挙げれば、10年1月7日の「基本合意」締結の同年4月21日、100人余が、集団で総理官邸に入ったことです。 “人権闘争の金字塔”ともいうべき、この裁判から学ぶ点には多いものがあります。/井上吉郎(WEBマガジン・福祉広場編集長)
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