編集長の毒吐録
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☆2020/4/26更新☆

真っすぐな道は、北側が山(衣笠山。「左大文字」山に連なり、麓には「金閣寺」があります)に向って上がり気味です。左(西側)に「洛星中・高校」が、右(東側)に「紙屋川」と「北野天満宮」「平野神社」、後ろ(南側)に「嵐電北野白梅町駅」があります。“ブラタモリ”流に言うと、この四つ角は興味深い場所です。この東西の道は「北野廃寺」の北限あるいは北限に近かったと推測されるからです。

飛鳥時代(600年前後)に創建され.858年に失火。884年に落雷で消失し、室町時代に廃寺となった「野寺」がここにあったと推測されています。後の時代の発掘で寺院と判明した遺構を一般的に「廃寺」(はいじ)と呼びます。「北野廃寺」(経緯を書いたモニュメントが北野白梅町駅の東北角にあります)は、太秦広隆寺の前身である蜂岡寺だという説が有力です。『広隆寺縁起』によると,蜂岡寺の旧寺地は葛野郡九条河原里と荒見社里という所だと書いています。これは平野神社の近辺と推測され,北野廃寺の位置と合います。

「北野廃寺」は、飛鳥時代の京都盆地最古の寺院跡です。太秦から続く台地の東端に位置し,寺域は西大路と今出川通交叉点を中心とする一辺100mの範囲と推定されています。出土瓦(飛鳥時代軒丸瓦)は京都盆地唯一の検出例で高句麗系と百済系の二系統よりなるといいます(以上は京都市考古史料館の展示からです)。「地球の真中で愛を叫ぶ」です。

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