編集長の毒吐録
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☆2020/8/23更新☆

<75年目の8月24日(1945年8月24日、浮島丸は舞鶴で沈没した)に寄せて> 海軍特設艦船「浮島丸」(4730d)は、朝鮮に帰る人々を乗せて、1945年8月22日、青森県大湊を出港しました。ようやく故郷に帰れると、乗り組んだ人は華やいでいたと言います。ところが船は,釜山(プサン)に向かわないで東舞鶴の港に寄り爆沈しました。8月24日の夕刻5時過ぎ、舞鶴湾の佐波賀沖300mで船は爆発、沈没しました。発表では、朝鮮人労働者など549人が犠牲になったと伝わります。

いやいや連れてこられた日本本土で、鉄道工事などに動員されていた朝鮮人を、故国まで無事に送り届ける義務が日本政府にはあったのです。僕は映画『エイジアン・ブルー 浮島丸サコン』の製作に携わりました。事件から50年の節目の年に、異国で「無念死」した人々の追悼の意も込めて映画はつくられました。戦後日本を、「歴史修正主義」が大手をふるって歩いている時、朝鮮の植民地支配と侵略、加害の歴史を直視することは、未来につながります。

狂言役者の茂山千之丞も友情出演してくれました。千之丞が今様をうたいあげるシーンが印象的です。『朝日新聞』の「天声人語」(95年5月28日)は、<狂言役者の茂山千之丞さん、京都市民などが作った敗戦直後の浮島丸事件の映画に無料で出演。「埋没している事実を事実として残すのは戦中派の人間の義務なのです。・・事なかれでなく事あれ主義。行動を起こさないと世間に伝わりません>。

被害の記憶はながく残るのに、加害については忘れやすい。この映画は、植民地支配や侵略戦争の事実を直視し強制¬連行・強制労働をはじめて描いた作品、戦後50年にふさわしい映画でした。

Smart Renewal History by The Room

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