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 ☆2020/8/28更新☆ 
昨8月27日の『京都新聞』の“窓”欄に、“加害の歴史 直視が未来に”の見出しをつけて拙稿が掲載されている。以下はその全文。 <75年前の1945年8月24日の夕刻5時すぎ、舞鶴湾内の佐波賀沖300mで、海軍特設艦船「浮島丸」(4730t)が爆発し沈没した。発表では、朝鮮人労働者など549人が犠牲になったとされている。船は朝鮮に帰る人々を乗せて、8月22日、青森県大湊を出港した。ようやく故郷に帰れると、乗り組んだ人は華やいでいたという。浮島丸は,釜山に向かわないで東舞鶴の港に寄り爆沈した。
  いやいや連れてこられた日本本土で、鉄道工事などに動員されていた朝鮮人を、故国まで無事に送り届ける義務が日本政府にはあった。僕は映画「エイジアン・ブルー 浮島丸サコン」の製作に携わった。事件から50年の節目の年に、異国で「無念死」した人々の追悼の意も込めて映画はつくられた。
  戦後日本を、「歴史修正主義」が大手をふるって歩いている。朝鮮の植民地支配と侵略、加害の歴史を直視することは、未来につながる。被害の記憶はながく残るのに、加害については忘れやすい。この映画は、植民地支配や侵略戦争の事実を直視し強制¬連行・強制労働を初めて描いた作品で戦後50年にふさわしい映画だった。>
 
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