編集長の毒吐録
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☆2020/8/30更新☆

≪悼辞―前を歩いた12人 ❾“リベラルな知性”の人≫ 加藤周一(1919年〜2018)は2018年12月5日、人生に幕を下ろした。人が一人死ぬと、図書館がそれだけなくなると言われるが、加藤の場合、図書館だけでなく、博物館、美術館までもが消え去ったようで、喪失感は深い。彼は、森羅万象に、自分の意見、考えを持とうとし、前提として、事実を集めるのに力を注いだ。戦争と核兵器を心の底から憎んだ。

「言葉と戦車」で「言葉は、どれほど鋭くても、またどれほど多くの人々の声となっても、1台の戦車さえ破壊することはできない。・・しかし、プラハ街頭における戦車の存在そのものをみずから正当化することだけはできないだろう。・・1968年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に対峙していたのは、圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった」と書いている。

そうだ。我々の試みは、圧倒的な言葉を積み重ねることに尽きる。そのことを本当には理解せず、暴力を持ち出すと黙ってしまうだろうと考えたモスクワ指導部の無恥さ。物事を考える基準を示した。04年、大江健三郎さん、小田実さん、鶴見俊輔さんらと9条を持つ日本国憲法を守る運動を進める「九条の会」を設立した。

京都市長選挙に立候補した僕は、加藤先生に推薦してもらおうとお願いにあがった。先生は訴えに耳を傾けて言われた。自分はこれまで、選挙に当たって政治家を推薦したことが1度だけある。それは宮本顕治さんで、参議院選挙だった。宮本さんとは『展望』誌上で1回だけ会った。結果、良いことも悪いこともあった。良いことは宮本さんが当選したこと。悪いことは中国が入国を認めなかったこと。そんなことを語って、自分は一つのここを1回しかしないことにしている。そう言う先生、僕の望みはかなえられなかった。

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