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☆2020/9/2更新☆
<きのうを振り返りあしたを見晴るかす15>【中国の片田舎で】 中国東北地方の店、食事をするところでしょう。食事をするという表現が不釣り合いな殺風景な店、客が10人も入れば満員になります。そんな店に僕ら4人は入りました。「きれいでない店に入ろう」「地元のおっちゃんがたむろしているような店を探そう」というのが僕らの合意でした 。
そこは、そんな店だったのです。僕らはパイプいすに座りました。店の人が注文を取りにきました。うすら汚れた品書きを見上げながら、ワイワイと言いあって、食べ物と飲み物をわからないまま注文しました。注文を受けた側は日本語を解しないし、注文した側は中国語が話せない。しかしながら、品書きには「漢字」が書いてあるので、だいたいがわかったのです。
どうしたことがきっかけになったのかは不明ですが、お店の人と僕らとの、漢字を介しての「交流」が始まりました。自分たちが何者か、自分たちは何をするために中国に来たのか、中国で感じたことは何か、そんなことを漢字で伝えようとしました。同行者の2人は新聞記者、1人は弁護士、それに僕です。
「新聞記者」は伝わり、「弁護士」は「法律家」と並べて書くことで分かってもらえました。次は僕の番です。「京都市長浪人」では、当然のことながらチンプンカンプンです。「政治家」というのもおこがましいのですが、他に思いつかなかったので「政治家」と書きました。怪訝そうな表情の彼らでしたが、彼らは「周恩来」と書いてきました。
僕らは大笑いし、相槌を打ちました。彼らも笑っています。彼らが「政治家」で思い浮かべたのは「周恩来」だった。以来、僕は周恩来になりました。23年前のことです。そんな経験もあって「漢字文化圏を創ろう」との呼びかけを受け入れることができました。漢字を厄介なものと考えるか、便利な表意文字ととらえるか。東北アジアの平和な関係を考えるとき、無視できない要素ではないでしょうか。
Smart Renewal History by The Room
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