編集長の毒吐録
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☆2020/9/10更新☆

『帝銀事件と日本の秘密戦』(山田朗、新日本出版社)の書評を受けて(4回連載。❷)。1998年8月、中国の2都市で「悪魔の飽食」を200人余で歌うことになった。あわせて、731部隊の跡地が訪問できることになった。しかしながら、僕は当時「極貧生活」を送っていたので、渡航費用が捻出できなかった。「参加する」と言いだせない僕に、渡航費用をカンパしてくれた友人が現れた。持つべきは「心友」と思った。

ハルピンと瀋陽の公会堂で公演はおこなわれた。当然のことながら、お客様は現地の人だった。公演前に731部隊の跡地を訪ねて「勉強」はしたが、その「勉強」は薄っぺらかった。観客に感動を残せるか。「生体実験」「細菌戦」「凍傷実験」など、「中国人捕虜」「朝鮮人捕虜」「ロシア人捕虜」を「マルタ」(丸太)と呼んで帝国国日本が行った所業を告発できるだろうか。

歌詞は中国語に翻訳されている。「日本人」合唱団が、「日本人」が行った「悪魔の所業」が表現できるだろうか。731部隊跡地の近くで行われた公演、幕が上がって最期を迎えるまで息が抜けなかった。

731部隊では、ペスト菌、コレラ菌、チフス菌、炭痕菌、マラリアなどあらゆる病原菌の感染実験が行なわれた。注射をし、食物に混ぜるなどして「マルタ」を病原菌に感染させ、細菌の効果やワクチンの「効果」が「研究」された。「マルタ」が死に至る寸前に生体解剖も行なわれた。細菌が生きた人間の臓器にどのような影響を与えるのかを調べるためである。細菌兵器の開発も行なわれた。

凍傷対策のため731部隊では凍傷実験が行なわれた。極寒の中国東北部で、「マルタ」を凍傷に罹らせ、「治療法」を研究した。夜中、外の柱に縛り付けると、「マルタ」は首を垂れて死んでしまった。死の前で「マルタ」は、毒ガス実験などに「再利用」された。吉村壽人(戦後、京都府立医科大学学長)の「研究室」を見たとき、特別の感慨に襲われた。(❷終わり。続く)

Smart Renewal History by The Room

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