編集長の毒吐録
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☆2020/9/30更新☆

≪悼辞―前を歩いた12人 ❿“市民”として生きる≫ 後藤新平を祖父に持ち、鶴見祐輔を父に生まれた鶴見俊輔(1922年〜2015)は、ハーヴァード大学に入学・卒業し、日米交換船で帰国し、日本軍の一員として従軍、日本で敗戦を迎えた。戦後、『思想の科学』を発行し、京都や東京での大学教員として生活、「ベ平連」の活動に参加し、鬱に悩まされた暮しを送り、「もうろく」を生ききった。

鶴見の「知性」はユニークで、どうやってつくられたのか知りたいと思ってきた。鶴見は、自立した個人として行動した。鶴見は敗ける自国の立場に立ち、国家の強制には抵抗し、民衆の立場に立つ、行動力あふれる思想家だった。しなやかな発想で現実に対処し、多くの人が自由に参加できる運動体を作ることができた。

僕が京都市長選挙に立候補した折、岩倉のご自宅を紹介者なしで訪ねたことがある。突然の訪問客を迎えた鶴見は饒舌だった。自分は選挙権を得てからずっと共産党に投票してきたことを語ってくれた。機会があれば、「自白」したかったように感じた。当然のことながら、「市長選挙に井上を推す」とも言ってくれた。2001年の参院選に共産党から西山登紀子さんが立候補して、候補者を語る会が京大会館であった時、唯一つの「条件」は「井上さんを司会者にしてくれ」という事だった。

作家の高橋源一郎は、「後年、鶴見さん自身が多くの伝記を書かれたが、そこで鶴見さんは、常に、書かれる対象の最良の理解者であった。あるいは、最良の理解者であるよう努めた。だから、鶴見さんの本の中で、遥か過去に生きた人たちが、いま目の前にいて直接わたしたちに向かい合うように思えた」と評している。

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