編集長の毒吐録
<<前のページ

☆2020/10/1更新☆

【『「連れ合い」と「相方」―「介助される側」と「介助する側」』(井上吉郎・池添素、ウインかもがわ<〒602-8119 京都市上京区出水通堀川西入亀屋町 321 TEL075-432-3455  FAX075-882-8053 メール saito@win-k.co.jp>、1200円+税)普及の記❶】 今月の10月20日頃に本は出ます。「目次」です。

 ≪序章 「非障害者」の60年/第1章 脳幹梗塞で倒れる/第2章 自死を図った/第3章 セカンドオピニオンをとる/第4章 京都の2つの病院/第5章 15ゕ月ぶりのわが家/第6章 飛行機に乗って、2つの旅 @韓国への旅A沖縄への旅/第7章  社会との接点愛を求めて@きょうされんの研修会に参加A佛教大学で講義するB京都市長選挙で中村和雄さんを推した➃「いこいの村」に行くD裁判の原告になるE障害者の施策をめぐって➆2016年の参院選の「分析」に挑戦したG人びとの憲法/第8章 津久井やまゆり園事件 @事件を貫く「優性思想」の考えA事件の背景に自己責任論/第9章 「無言宣伝」への参画/終章 胃ろうで「食べる」≫

本書は、2006年8月12日以降の14年間を叙述の対象としています。僕は、61歳の誕生日直前の2006年8月12日に、脳幹梗塞で倒れました。この日、2人はアサ6時前に家を出て、近くのターミナルで、男の友人と待ち合わせていました。3人で、終点の嵐山へ行き、夏を楽しもうという趣向です。電車の中でも、嵐山に着いた時も、僕は寡黙でした。時間の経過とともに、違和感が広がりました。駅で僕は、腹のものをゴミ箱に戻しました。家に帰った僕はベッドにもぐりこみました。

ベッドに伏せても状態は悪くなる一方でした。「おかしい。どこかに異変が起こっている。数日前のめまいと関係しているのでは」、そう考えた僕は、10年ほど診てもらっているドクターがいる病院に行くことにしました。ドクターに自分の考えを述べてからの記憶はとだえています。処置をされたのでしょうが、記憶はありません。「死んでしまう!」との連れ合いの叫び声が、僕には有効だったとは事後に聞かされたことです。僕は“死から生への復帰”を果たしました。(❷へ続く)

Smart Renewal History by The Room

閉じる

First drafted 1.5.2001 Copy right(c)福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTIN INC