編集長の毒吐録
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☆2020/10/7更新☆

<きのうを振り返りあしたを見晴るかす17>【シャワーのような夕立】 「大学浪人」中の夏の出来事だった。1964年のことだ。京都市内の公立高校の生徒にとって、「カンブリ」(関西文理学院)は「高校4年生」と呼ばれていて、友人から「お前も4年か」と茶化された記憶は鮮明です。浪人中の僕は、家と予備校の往復、大学に進んだ友達との奈良通い、夜遅くまでの語らいの時間を過ごしました。社会の動きや政治に無関心ではありませんでしたが、特別の政治思想は持っていませんでした。そんな僕が、どうしたことか、北上するデモに魅せられ、魂を奪われたのです。場所は烏丸北大路の大谷大学の横、人々は「原水爆の禁止」を訴えていました。なぜ、どうしてそのデモのことを知ったのか、なぜそのデモについ行こうと思ったのか、いまでは思い返せません。いや、その時もそれほど明確でなかったかもしれません。ましてやその出来事が持つ重大な意味など理解の外でした。

64年8月、京都で第10回原水爆禁止世界大会が開かれました。僕が出あったデモは会場の京都府立大学グランドに向かう隊列でした。「原水爆の禁止」を人が訴える姿も強烈でしたし、京都盆地にシャワーのように降った夕立も印象に残っています。そして何より印象深かったのは、豪雨にたじろぐことなく原水爆禁止を訴える人々の姿です。グランドの西側のフェンスにカラダを寄せて、しがみつくようにして、僕は大会に「参加」していました。

翌年、大学に入った僕は、夏、広島をめざし、一人で夜行列車に乗りました。広島の街を歩き回り、何人かの人からお話をお聞きし、慰霊祭にも「参加」しました。第11回世界大会へも「参加」(「代表」でなかったので正式には参加できませんでした)しました。前年の体験が僕を広島に引き付けたとは言いすぎでしょうか。被爆から20年の広島で手を合わせて考えました。京都に帰ったらアルバイトをして、そのお金を原爆病院に寄付しよう。大学が始まったら、新しい自分に生まれ変わろう、と。

Smart Renewal History by The Room

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