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☆2020/10/18更新☆
昨10月17日の『朝日新聞』は「あの日 あの時 〜過去の投稿から〜」欄で、1933(昭和8)年5月30日の記事を紹介しています。87も前のものです!!これを「発見」して、驚き興奮しました!!こんな時期にこのような記事を書き掲載するとは・・!!ちなみに、33年5月26日、文部省は文官分限令により瀧川の休職処分を強行しました。負けない、負けるわけにはいかない、決定撤回!!
『説 説をなすものがある。今度の滝川教授首切り事件がすら〴〵と運んだら、次は東大の美濃部達吉、牧野英一、末広巖太郎の三教授の首を順々に切って行く腹であったといふ。/どうもこの三人はいふ事が少し自由すぎるといふのださうな。この上勝手にいはさておけば、どんな危なかつしい事をいひだすかしれないといふのである。危なかしいとは、思想的に国民のために危険なといふのか、それとも時の政府の都合からいって、自分らの足許(もと)のために危険だといふのか、そこンところはどうも能(よ)く分(わか)らない。
併(しか)し今度の滝川事件に対する当局の腹はすこぶる強硬なものであって、大学の二つや三つ打ツつぶれても驚かない腹だといふ説もある。然(しか)りしかうして、それには平生軟弱を以(もつ)て聞(きこ)えた当局の腰を、うんと押すものがあるのだとも伝へられる。/しかしもしそんなに当局が頑張るほど滝川某といふはけしからん男であるのなら、そんなけしからぬ男お聞を管下からだした文部大臣に責(せめ)のないものだろうか。大臣が危険とみて処分しなければならぬやうな大学教授があつたとしたら、管下の裁判官に危険なのがゐたとして責が引いたやうに、文部大臣もまた責を引くべきではないのだろうか。/法相は責を引きかけて引つこめた。風を引いたよりは筋道が通つている。/(五郎兵衛寄)』
Smart Renewal History by The Room
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