編集長の毒吐録
<<前のページ

☆2020/10/30更新☆

≪悼辞―前を歩いた12人 ⓫政治家で精神科医で作家でもあった人≫ 津川武一(つがわたけいち、1910年〜 88)は、青森県の津軽に生まれ、小作人の子どもとして育った。優秀な彼は、東京帝大医学部に進み、在学中に日本共産党に入党、治安維持法違反の容疑で起訴され大学から退学処分を受けた。「転向」を表明して執行猶予つきの判決を受け、その後復学、大学医局に勤務した。戦後は郷里で共産党の再建活動に参加、党活動ともに地域医療(津軽保健医療生活協合)にも力をつくした。60年代初頭のポリオの生ワクチン輸入時には、先頭にたって活動した。

55年、『農婦』で読売新聞小説賞佳作、『過剰兵』はサンデー毎日大衆文芸賞に入選した。日本民主主義文学同盟の中心的な書き手として尽力、故郷の先人葛西善蔵の顕彰にも力を入れた。63年に青森県議会選挙に当選、2期目の途中の69年、青森2区から立候補し当選、東北地方の最初の共産党の代議士として、86年に引退するまで通算5期衆議院議員を務めた。

津川の小説には3つの流れがあるだろう。第1は『農婦』『ひろった生命』に代表される農民文学、第2は『過剰兵』『天皇はいま何を考えていますか』などの戦争文学、最後は『お告げ』や『巫女』などの「イタコ文学」だ。評論には、精神科医らしい『苦悶の文学者ー作家の精神構造』や『葛西善蔵ーその文学と風土』などがある。津川文学の最大魅力は、名もなき人々に光を当てたことだ。農民や働く人、底辺に生きる人々、虐げられた人々の人生を励まし、生きる力を与えてきた。

京都から東京に行くとき、津川は僕の「身元引受人」であり、農業雑誌時代には、東京でも津軽でも世話になった。東京の飯場での出稼ぎ農民の歓迎ぶり、津軽での多くの人々の熱狂的な歓迎、文学を語り出すと止まらない人だった。

Smart Renewal History by The Room

閉じる

First drafted 1.5.2001 Copy right(c)福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTIN INC