編集長の毒吐録
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☆2020/11/3更新☆

【『「連れ合い」と「相方」―「介助される側」と「介助する側」』(井上吉郎・池添素、ウインかもがわ<〒602-8119 京都市上京区出水通堀川西入亀屋町 321 TEL075-432-3455  FAX075-882-8053 メール saito@win-k.co.jp>、1200円+税)普及の記❼】 今日11月3日は、本が出版された日です(初版 第1刷は発行)。本を読んでの感想が届いています。

<『「連れ合い」と「相方」〜介助される側と介助する側』を読みました。本の題名に惹かれました。私と相手との関係性が題名です。「連れ合い」は、私と共に歩む存在であり、「相方」は漫才師ペアが使うように、その人が居なければ私が成り立たないほど必要不可欠な関係を表しています。名前、妻、旦那・・という呼び方、まして主人、奥さんという無意識であれ上下関係を表すことばとはまったく違います。介助される側と介助する側、支えあうことの尽きない難しさ、次々に現れる学び、だからこそのいとおしさ。一見してかっこわるいこと、実はこんなことを考えていたこと。

互いに見えていなかったこと。発症直後の生死を分ける、「相方」が知り得なかったことが綴られていきます。「連れ合い」が書いています。「振り返ると、ここまでの15ヶ月は、絶望から希望への道のりだったことを知るが、今、思い返すとその時はわからなかった」。そのすぐ後に続けて「そんなもんなんだ」と。キーワードの〈最善と最悪をいつも考えて〉の重苦しさのイメージに軽やかさを加えています。「相方」と「連れ合い」なればこその、稀有な、そして、シリアスな喜劇の原作のようです。

この本を読みながら、手元に置いて見返した本があります。『なぜ人と人は支え合うのか』(渡辺一史 ちくまプリマー新書 2018年)。その中で〈自立とは、だれの助けも必要としないということではない。どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること。自分が決定権をもち、そのために助けてもらうことだ。だから、人に何かを頼むことを躊躇しないでほしい。健康な人だって、いろんな人と助け合いながら暮らしている〉。自分の意志で、人々の助け、支えを獲得して生まれる自立。このことに「非障害者」も「障害者」も違いはないように思えます。さらに、支えられる側と支える側も、一方通行的な関係ではないことも示唆しています。私にとって、ここ数年前から、さまざまな場面で公私共にお世話になりっぱなしのお二人です。

「非障害者」だった京都市長選挙のときに遠くから接した吉郎さんは、背筋を伸ばし、肩幅広く、端正できりっとした、豊かな知見をユーモラスに語る、ある種近寄りがたい存在でした。そこから十数年の間に生じた、お二人の生きざまに、この本で初めて触れることができました。以前、「相方」の吉郎さんが突然言うのです。「池添は一人で遊べないんだ、一人で呑みに行けない人なんだ」。お二人が抱く、それぞれの心のうちを、この本のなかで、少しだけ分けてもらえました>

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