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☆2020/11/20更新☆
【読書雑記689】『101年目の孤独 希望の場所を求めて』 (高橋源一郎、岩波書店、920円+税)。著者初となるルポ、対象となるのは障害などの「困難」を抱える人たちだ。ダウン症の子どものアトリエ、学級も試験も宿題もないという学校、身体障害者だけの劇団、認知症の老人たちと一緒に暮らしを送り、看取ろうとする人、死にゆく子どもたちのためのホスピスなどが対象となる。作家は考える、弱さとはどういう状態なのか?生きる営みの中で何が起きているのか?
これは本当に「弱さ」について書いた本なの?著者の言う「弱さ」は何を指すのか?著者は「長いあとがき」の中で、<わたしは旅をしていた/始まりは、わたしの子どもが大きな病気にかかったことだったのかもしれない・・言葉にすると、「弱い人たちを訪ねる旅」ということになる>と言っている。
次の段落で著者は言う。<老人も子どもも障害者も、あるいは、様々な理由で「弱い」といわれている人たちも、訪ねてみれば、弱くはなかった>と言い、さらに、<わたしたちには、彼らが必要なのだ。「弱い人」をその中に包み込むことのできない共同体がいちばん弱いのだ>と続ける。 本にはなぜ、『101年目の孤独』というタイトルがついたのか?著者は07年1月に、『ニッポンの小説 百年の孤独』という本を出版している。これは11年の『さよなら、ニッポン ニッポンの小説2』、14年の『「あの戦争」から「この戦争」へ ニッポンの小説3』へと続く。『101年目の孤独』という本書のタイトルは、明らかにこれらを意識している。
つまり、「弱さ」について書かれたこのルポは、著者の文学評論とつながっているだろう。著者が言う「弱さ」という言葉の選択は、著者一流のカモフラージュではないか。著者は「坂の上の雲」を目指さない。必死に生きいる人々を著者は「弱者」と呼び、この世の中をつくっている「忘れられない人びと」であると捉える。
Smart Renewal History by The Room
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