編集長の毒吐録
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☆2020/11/25更新☆

平安の昔から、京都の北部(今だと北区)に広がる七つの「野」を「洛北七野(しちの)」呼びならわしたそうです。一条道がみやこ(平安京)の北限でしたから、これらの多くは洛外になります。七つは、内野、北野、平野、点野、紫野、蓮台野、上野と呼ばれました。もともと七野という地名はありません。そのうちの一つである紫野に秋を捜しに行きました。大徳寺(だいとくじ)です。このお寺のすぐ西に、出身高である市立紫野高校がありましたし今もあります。

広い境内を持つ大徳寺の西端、紫野高校の東に広がるお寺の白壁に沿って、銀杏(いちょう)の木が植えてあります。その銀杏の葉っぱが黄変しています。晩秋ゆえか、多くの黄色い葉っぱは落ちていました。さながらそのさまは、黄色い絨毯(じゅうたん)を敷いたようでした。緑色の葉っぱが「生」を伝えてくれるとするなら、黄変したそれは「盛者必衰の理」を伝えてくれるようでした。

大徳寺には、塔頭が二十四あるそうですが、その一つが芳春院です。高校生時代、何回か訪れたことがあります。このお寺の入口にある木の葉が紅葉色に染まっていました。門の内外の樹々が紅葉になっています。大徳寺の秋もそろそろ終り、冬支度の時期のようです。

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