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☆2020/12/3更新☆
≪二世茂山千之丞の没後10年(2020年12月4日)に寄せて≫【「伝統」の世界に生きた「革新」の人<全3回>】
僕は狂言役者としての千之丞さんに出会う前、木下順二の『夕鶴』の与ひょうとしての彼に、観客として相対している。会場の隅々にまで届く声に驚かされました。身のこなしが、細部まで行きとどいているのです。狂言が今ほどポピュラーでなかった45年ほど前のことです。正直に白状するなら、そのころ僕は、狂言を「笑劇」とは思っていませんでした。
千之丞さんと直接のお付き合いが始まったのは「21京を創る懇話会」でした。15代御粽司・川端道喜さんをリーダーとするこの組織は、京都市長選挙でオール与党体制をひっくり返すために組織されたものです、伝統芸の世界の千之丞さんが、一種の「政治組織」に顔を出してくれて、この組織の安定性がさらに増しました。1980年代のことです。
その頃、南アフリカ共和国は、アパルトヘイト体制を敷いていました。その国から放逐された舞台人が「アマンドラ」というグループをつくり、京都府立体育館で5000人の公演をすることになりました。彼ら数十人を歓迎する会を催すことになったとき、千之丞さんはこれに出演することを了解、会場のホテルとの打ち合わせにも足を運んでくれました。日本語で演ずる狂言を、日本語を解しないアマンドラのメンバーが愉しんでくれました。1990年のことです。
千之丞を伝統芸能の旗手と思い、千之丞に向き合った芸人に、コメディアンのマルセ太郎がいます。京都会館で開かれた二人のやり取りは「至芸対決」。二人は初対面、打ち合わせは一切なし、舞台の上には椅子が置いてあるだけです。僕は、二人の真剣勝負を舞台のそでで食い入るようにみていました。「これが芸の力か」と思いました。憲法を記念する催しで、1990年代のことです。
Smart Renewal History by The Room
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