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☆2021/1/7更新☆
【『「連れ合い」と「相方」―「介助される側」と「介助する側」』(井上吉郎・池添素、ウインかもがわ<〒602-8119 京都市上京区出水通堀川西入亀屋町 321 TEL075-432-3455 FAX075-882-8053 メール saito@win-k.co.jp>、1200円+税)普及の記⓱】 本を読んでの感想です。
<私には別世帯の父91歳、母88歳の両親(両人とも要介護1)が歩いて十五分のところで二人暮らしをしています。姉世帯も近くにいますのでなんとか協力して在宅介護をしています。日々の介助にはそれほど負担はないのですが、最近、母の甘えが顕著であり、自立面で支障をきたすことがあります。気配りを心がけていますが、やはり人間ですので日常の介助や何気ない会話で母の気分を損ねることがあります。母と姉とはよく言い争いに発展します。姉にとっても心理面での負担が徐々に大きくなっている感じです。この本を姉に薦めたところ、何か思う節があったようです。「いい本だった」と読後の感想を聞きました。(あえて、どこがよかったとは聞きません。笑)。
私の感想を二点ばかり。まず具体的な一点目。風呂のリフォームに関して。吉郎さんのシャワーでの自立入浴の件で、池添さんが湯舟の手すりについて言及されていますが、私も入浴と浴室リフォームについて思うところがありました。被介護者の一般家庭の浴槽への移動はかなりリスクを伴います。私事で恐縮ですが、一人暮らしをしていた連れ合いの母(私にとっては義母、伊藤正昭の妹)を八年前、浴槽で亡くしました。義母はパーキンソン病を患い少し手足の動作に不自由をきたしてから、拙宅の近所のマンションに呼び寄せ補助程度の介助をしていました。義母は七月の暑い日の早朝未明、イレギュラーに一人朝風呂し浴槽で斃れていました。その日の午前中、連れ合いが訪問して発見しました。一人暮らしなので事故と事件両面で扱われ、警察には事情聴取や預金通帳も検められるようなこともされ嫌な思いもしました。しかしそのことよりも、毎日熱心に介助していた連れ合いは「母はなぜ私に声をかけてくれなかったのか、たかが四、五分でかけつけられたのに」とこの日の出来事が未だに合点いかず悔いが残るといいます。姉も母の入浴時に少し手を貸し湯舟に入れるのですが、浴槽を跨がせるときは少し緊張を要する一瞬だと話します。浴室、浴槽に手すりを付けたとしてもこうなのです。おそらく吉郎さんは入浴時介助≠謔閧熈自立≠選ばれたのでしょう。そのことにより湯浴は潔く諦められたのだと思います。被介護者の生活習慣にもよりますが、日常はシャワー浴に生活習慣を変える、もし可能なら簡便なサウナ浴のリフォームとシャワーの併用を検討し湯浴は諦める、というようなケアマネやリフォーム業者からの提案が今後積極的にあってもいいのではないかなと私も思っていました。
二点目の全体の感想について。吉郎さんの障がい者になられてからの日常生活や旅行記も興味深く読ませていただきました。「無言宣伝」をはじめ、社会との接点を継続されている吉郎さん、池添さんについては今さら申すまでもないでしょう。私が特に凄いなと感心したことはお二人の潔さ≠ナす。やりたいことも諦めることで何か違うことが芽生え、今までと違う生活の中でやりたいことや楽しさを見つけることもできるということ、いわば吉郎さん、池添さんの生活を転換させる潔さ≠ノ目を瞠りました。また、「介助」を通してお互い見えてくる信頼関係のあり方も勉強になりました。私や姉も親の介護でよく口にするのですが、「できることはやろう。できないことは率直にできないと伝えよう」というスタンスにちょっと自信を深めました。介助者も被介助者も「張りつめた弓は折れやすい」(これは映画「武器なき闘い」で下元勉演じる山宣が血気にはやる活動家を諭した台詞で、この映画を最近四十年ぶりに観て、この台詞にハッとしました)ということも改めて思い知りました。 吉郎さんと池添さんの往復書簡≠フような記述の展開も、肩ひじ張らず読みやすく、それでいて時には力が入り読み了えました>
<京都時代から知遇を得ている吉郎さんとそのパートナー素さんによる愛の闘病記。脳梗塞で倒れ、6つの病院に入院して手術と困難なリハビリ生活に突入した吉郎さん、自身も仕事をしながら吉郎さんを支え続けた素さんがどうやって苦境を切り抜けたのか。
自死をも試みた吉郎さんの苦悩の重さ、意思疎通の不自由さから思うようにケアできない素さんの苦しさが行間からひしと伝わってくる。そしていまの穏やかな日々があるということのしあわせを読み手も共有する。人生の晩年に必要なのはこんな「連れ合い」と「相方」である>
Smart Renewal History by The Room
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