編集長の毒吐録
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☆2021/2/13更新☆

左京区岡崎にある京都国立近代美術館でやっている『分離派建築会100年展―建築は芸術か』(〜3月7日)を観てきた。6人の若き建築家は、設立宣言で、「我々は起つ。過去建築圏より分離し、総ての建築をして真に意義あらしめる新建築圏を創造せんがために。我々は起つ。過去建築圏内に眠つて居る総てのものを目覚さんために溺れつつある総てのものを救はんがために。我々は起つ。我々の此理想の実現のためには我々の総てのものを悦びの中に献げ、倒るるまで、死にまでを期して。我々一同、右を世界に向つて宣言する」と述べた。

100年前の大正時代に、日本の建築界に登場した建築家がいた。最初の建築運動とされる分離派建築会だ。1920年、東京帝大建築学科の卒業を前に6人(石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守)によって結成された。展覧会では、図面や模型、写真などで、時代を駆け抜けた彼らの軌跡を振りかえっていた。分離派建築会が追い求めた建築の芸術とは何か、近代建築の中で果たした役割を明らかにする展覧会だった。分離派建築会が結成された頃は、スペイン風邪が大流行した時代だが、いまのl新型コロナウイルスが世界中に蔓延している状況と類似し、新たな時代のヒントを与えてくれそうな展覧会だった。

京大の楽友(らくゆう)会館や京大農学部正門は、森田慶一の手になる建物で、どちらも今でも健在だ。楽友会館は国の登録有形文化財だ。宣言にある「我々は起つ」の文言を書にした作品が展示されていた。6人の建築運動は、街をキャンパスにして「絵を描く」作業だと思わされた。

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