編集長の毒吐録
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☆2021/2/24更新☆

京都市学校歴史博物館でやっている『京都の中学校150年のものがたり―京都府中学校から新制中学校まで』(〜3月22日)を観てきました。「下京区御幸町仏光寺下る」と表記される博物館ですが、この博物館は、元の京都市立開智小学校(1869年・明治2年6月、下京第11番組小学校として開校されました。64校もの番組小学校が開校しました)を整備して開設しました。展示室・収蔵庫の整備、エレベーターの新設など博物館としての機能を整える一方、外観などについては最小限の改修にとどめたということです。

幕末の戦禍と東京遷都で、京都は衰退の危機にありました。町衆は、京都の「復興」のため、都市基盤の整備や勧業政策などの政策を実施しましたが、その中で特に力を入れたのが“教育”でした。先人は、「まちづくりは人づくりから」の考えから、1872年(明治5)の学制公布に先立ち、明治2年に日本で最初の学区制小学校である64もの番組小学校を開校したというのです。

今から150年前の1871年(明治3)、京都で「中学校」の名を冠した学校が開設されます。番組小学校を修了した人を対象にした「京都府中学校」です。昨年の番組小学校150周年に続き、今年も中学校150周年という記念年を迎えましたが、この展覧会はこれを記念したものです。150年の歴史の中に、今と違い、不思議で新鮮なことを発見できました。戦前の中学校(旧制中学校)は男子だけが通う学校で、現在の中学校(新制中学校)とは特徴も学校生活も違うものでした。旧制中学校では、どのような学校生活があったのか?

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