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☆2021/3/11更新☆
10年前の2011年3月11日。この日は、2泊3日の予定で中国の上海に行った連れ合いが帰国するはずでした。1人暮らしが淋しかった僕は、この日の昼は訪問看護師の注入を受けていました。胃ろうからの注入前の検温で、37度6分あった僕に、彼女は「注入が終わったら、少し休みましょう」と言いました。身体もだるかった僕はすぐに蒲団に潜り込み、眠りにつきました。 寝てから2時間30分ほど経った午後3時30分頃、連れ合いが上海から国際電話をかけてきて、その呼び出し音で起こされました。「テレビを見て!水が仙台空港を走っているわ!津波のようよ!」と切羽詰まった声でしゃべります。「飛行機が飛べないかも知れない!日本に帰れないかも・・!」とつけくわえます。僕はベッドから降りて、隣室のテレビを点けました。画面は、洪水が道路を覆い、空港を走り、家をおし流すさまを映しだしています。海の中で大地震が起きたこと、津波が列島に襲いかかっていること、原発が危険な状態にあることを伝えています。検温すると体温計は38度3分を指しています。しんどい!再び蒲団に潜り込みました。「間もなく訪問看護師が来るだろう」と思う間もなく、眠りに落ちました。 彼女に起こされ促された僕は、すぐに体温計を腋に挟みました。体温は38度8分を指しています。訪問看護師の彼女は、体温を看て、「救急車を呼びますから、病院に行ってください」といいます。テレビの画面は猛威を振るう津波を映しています。間もなくやってきた救急車に乗って、病院の救急窓口で処置されました。
Smart Renewal History by The Room
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