編集長の毒吐録
<<前のページ

☆2021/4/2更新☆

【読書雑記724】『漱石深読』(小森陽一、 翰林書房、2400円+税)。『こゝろ』をめぐる論争の当事者である著者が、夏目漱石の代表作を論じる。著者は言う。<夏目漱石の長篇小説の多くは、新聞連載小説であった。きわめて厳しい言論統制と権力による情報弾圧の中で、最も広い読者層に言葉を渡すことの出来る、新聞小説という領域において、漱石夏目金之助が、どのような言語的文学的実践をしたのかを、今の時代において読者のみなさんとの有効な共通体験としたいというのが本書の願いである>。

本著は、問題提起の書といえようか。漱石の作品から冒頭箇所を引用し、その中で作品読解のキーワードを見つけ、それを手がかりに作品論を展開するという独特な手法を貫く。それは冒頭にこそ、作品読解の鍵があるとは著者の信念である。

例えば、『心』のキーワードは「自然」(本心)である。妻と二人で孤独な生活を過ごす「先生」は己の「自然」(本心)と「故意」(腹心)をこの小説の書き手である「私」に長文の手紙により伝える。彼は、乃木将軍の殉死後に自死を遂げる。「私」が、「先生」の求めに応じて対面し、「先生」の自死をもし止められたのではないかと考えたとすれば、それは「私」の思い上がりである。ではなぜ「私」はこの小説を「私」の独白にしたのか?

著者が指摘しているように、この小説には固有名詞が存在しない。「私」、「先生」、「奥さん」、「K」、「娘さん、お嬢さん」のみである。固有名詞はないので、特定の誰であるかはわからない。それは誰にも当てはまるという意味で用いられたのではないだろうか。著者が指摘したこの小説のキーワード「自然」と「故意」は誰の心にもあるものである。それに気づかせるために漱石は、敢えて固有名詞で語らなかったのではないか。

Smart Renewal History by The Room

閉じる

First drafted 1.5.2001 Copy right(c)福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTIN INC