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☆2021/4/23更新☆
【読書雑記730】『自由民権運動史への招待』(安在邦夫、吉田書店、2000円+税)は、自由民権運動史研究者による入門書。この本は、自由民権運動の歴史をじっくり辿る時の格好の書、民主主義運動の原点である自由民権運動から何を学びとるか。民権運動史と研究史を鳥瞰する格好の書。<自由民権運動の精神と営為をいま学ぶことは、方向性を喪失した昨今の政治状況を考えるとき大切な課題といえる>と著者は言う。
著者は自由民権運動が4つの期間に分かれていたと言う。日本で初めて国会を開くことを求めて、板垣退助たちが「民撰議院設立建白書」を明治政府に出した時から、運動は始まる。その要求を政府に拒否された板垣らは出身地の高知に戻って、「民権結社」と呼ばれる組織を作って運動を広げる。そうした組織が高知県や福島県などの各地で作られていく一方で、政府に不満を持った士族たちによる武装反乱が各地で起きる。その士族による反乱であった西南戦争が鎮圧されて反乱の時代は終わり、運動に国民のエネルギーが注がれる。民撰議院設立建白書の提出から西南戦争終結までの時期が生成期。 全国各地で民権結社が作られ、国会開設を求めるうねりは「国会期成同盟」の結成に至ります。「国会期成同盟」に集った民権活動家たちは、憲法草案を作ることになる。国会の開設と憲法の制定を求める声が大きくなる中で、「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起き政府批判の声が高まる。こうした声に押されて、政府は10年後に国会を開設することを約束する。自由民権運動の高揚期だ(1878年〜81)。 10年後の国会開設をにらんで、自由党や立憲改進党が結成される。自由党の板垣が襲われ、「板垣死すとも自由は死せず」という名言を吐いたといわれ、自由という言葉が大流行することになるという。一方政府は、伊藤博文を欧州に派遣して憲法制定の準備を進める。一方、民権活動家が大量に逮捕される「福島・喜多方事件」のような「激化事件」が各地で起こる。そして、7名もの死刑者を出した最大の「激化事件」である「秩父事件」が起こる中で、自由党は解党する。しかし、立憲改進党は危機を乗り越えて存続していき、多くの民権活動家も運動を継続していく。運動の展開期だ(1881年〜84)。 停滞した運動を立て直すために、「小異を捨てて大同団結すべき」とする「大同団結運動」が興こる。そして、「地租の軽減、言論集会の自由の獲得、不平等条約の改正」を求める「三大事件建白運動」が進められる。政府は、秘密裏に作った大日本帝国憲法を発布する。しかしながら翌年の衆議院選挙では、民権派が過半数を獲得する。「民党」と呼ばれた民権派は、「経費節減」「地租軽減」を求めて、国会で政府と激しく対立するが、天皇から「和衷協同せよ」という詔勅が出されたのを契機に民党と政府との妥協が図られ、運動の流れは収れんする。運動の収れん期(1884年〜93)。
Smart Renewal History by The Room
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