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☆2019/3/8更新☆
『雁の寺』、『五番町夕霧楼』、『越前竹人形』、『飢餓海峡』、『一休』、『金閣炎上』などの作品残した作家・水上勉(みずかみつとむ)は、100年前の1919年3月8日、福井で生まれた。5人兄弟の次男として育った彼は、9歳(一説には10歳)の時、京都の相国寺(しようこくじ)の塔頭、瑞春院に小僧として修行に出され、得度して水上秀英に改名、厳しさに耐えかねて出奔。
その後、等持院(とうじいん。自宅の近く)に移り、僧名承弁に改名。等持院の蔵書の小説本を貪り読み文学への関心を持ったという。また等持院には東亜キネマの撮影所があって、撮影の手伝いもした(マキノ省三の大きな銅像がある)。 旧制花園中学校(等持院の南側ですぐ近く。現・花園中学校・高等学校)4年の時に『都新聞』に投稿するようになった。40年に東京に出、新聞社、出版社、印刷会社、出版社、映画配給会社勤めの後、郷里に疎開、結核だったが44年には召集を受け、京都伏見深草の輜重隊に所属。その後国民学校の代用教員を務めて終戦を迎えた。
89年、訪中作家団の団長として訪れた北京で天安門事件に遭遇、東京からの救援機第1号で帰国するも、直後に心筋梗塞で倒れ、心臓の三分の二が壊死、同じ心筋梗塞の闘病経験のある共産党の不破哲三と、家族ぐるみで交友を持つようになった。
1999年の京都市長選挙では不破夫婦の働きかけもあって、京都市長選挙に立候補した僕への支援文を寄せた(これらの書簡、対談等は『同じ世代を生きて』所収)。それは、原稿用紙に「京都市長選挙に井上吉郎氏を推すの文」のタイトルで書かれ、京都の「良さ」「らしさ」を称揚するもので、「京都らしい京都を後世に残せ」という僕らの訴えとも重なるものだった。著名な作家の心情溢れるこの訴えは、人びとの心に沁みいった。
Smart Renewal History by The Room
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