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☆2019/3/15更新☆
お茶の速水流(はやみりゅう)の家元、滌源居(てきげんきょ)。滌源居は、創立時は釜座出水(かまんざでみず)の地にありましたが、1862年に幕府の命により(京都市北区)北野の地に移されました。速水流家元邸である『滌源居』は、平野神社の鳥居前の通りの南、北野天満宮の西裏(お土居の森が借景)にあり、紙屋川に接する静かな地にあります。茶室、庭及び露地は、六代宗仁宗匠の指導で造られ、整備をしながら今に至ります。
門を潜ると(裏は紙屋川)、露地門まで石畳が続き、露地門からは飛石に変わります。これを進むと右手に腰掛待合(こしかけまちあい)があり、さらに進むと中門になります。その先の右手には立ち蹲踞(つくばい)があり、左手には寄付(よりつき)の土間席、そして茶室前の露地に至ります。季節の変化を楽しむことができるように考えられた植物が植えられています。なぜ詳しいかというと、生前の十五代御粽司・川端道喜さんに連れられてここに2回入り、お話しをうかがったことがあったからです。 七代目のお家元であった宗樂(そうがく)は、1987年に、聖護院門跡で家元襲名を行ない、戦後途絶えていた聖護院門跡との関係を回復し毎年献茶の奉仕をするようになりました。岡山後楽園などでの献茶も熱心でした。先にも書いたように、このお家元に様々なことを教わりました。道喜死去時、お家元が来られたことを門を見つめながら思い起しました。
Smart Renewal History by The Room
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