編集長の毒吐録
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☆2019/7/11更新☆

朗読リハビリから、参院選に寄せて>「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」/二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた・・「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」/それは今では、皆の心の底の方へ、底の方へ、と深く入り込んで行った。――「今に見ろ!」・・んかも知らない。然し考えてみれば、そんなことになったら、監督が第一周章(あわ)てるよ、会社の手前……うまくやったら、これア案外大丈夫だど」/

「大丈夫だよ。それに不思議に誰だって、ビクビクしていないしな。皆、畜生! ッて気でいる」/「本当のことを云えば、そんな先きの成算なんて、どうでもいいんだ。―死ぬか、生きるか、だからな」/「ん、もう一回だ!」  そして、彼等は、立ち上った。―もう一度!(「蟹工船」小林多喜二)

木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である・・旧庄屋として、また旧本陣問屋としての半蔵が生涯もすべて後方になった・・維新以来の明治の舞台もその十九年あたりまでを一つの過渡期として大きく回りかけていた。人々は進歩をはらんだ昨日の保守に疲れ、保守をはらんだ昨日の進歩にも疲れた。新しい日本を求める心はようやく多くの若者の胸にきざして来たが、しかし封建時代を葬ることばかりを知って、まだまことの維新の成就する日を望むこともできないような不幸な薄暗さがあたりを支配していた・・

半蔵を葬るためには、寝棺を横たえるだけのかなりの広さ深さもいるとあって、掘り起こされる土はそのあたりに山と積まれる。強いにおいを放つ土中をめがけて佐吉らが鍬を打ち込むたびに、その鍬の響きが重く勝重のはらわたに堪えた。一つの音のあとには、また他の音が続いた。(「夜明け前」島崎藤村)

 ともかく日本にも民主憲法ができた。明治二十二年にできた旧憲法では、支配する者の権力がどんなに絶対であり、人民はどんなに絶対従順にそれに服従しなければならないかということが眼目としてつくられていた・・

世界が連合国憲章をつくって、真から戦争とファシズムに反対し、一つの民族によって隷属させられる条件を否定している現代の歴史の中で、男と女は互の隷属から解放され、人間の仲間としての両性として生きられるように協力しようとしている。男と女を人民という名にくるめてこれまで抑圧してきた歴史を、根柢から新しく喜ばしいものに変えてゆこうとするために人民として協力してゆくのだと思う。(「明日をつくる力」宮本百合子)

Smart Renewal History by The Room

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