編集長の毒吐録
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☆2019/8/15更新☆

<74回目の8月15日に寄せて> 自分の過ちを認めることはつらい。しかし過ちをつらく感じるということの中に、人間の立派さもあるんだ。(中略)正しい道義に従って行動する能力を備えたものでなければ、自分の過ちを思って、つらい涙を流しはしないのだ。(吉野源三郎)

その頃の政府は、「国民精神総動員」と称して、むやみに多くの標語を作り出していた。「ぜいたくは敵だ」・・冗談ではないと私たちのなかのマルクス主義者はいった。「低賃金を支えにして育ってきた資本主義国ではないか。食うや食わずの大衆に向かって、ぜいたくは敵だもないものだ。」また大和魂、武士道、葉隠・・・」・・一体この連中は本居宣長をまじめに読んだことがあるのだろうか」と私たちのなかの学者はいった、「宣長の大和心はもののあわれですよ。あれば源氏物語の恋の世界だ。武士道は、江戸時代に、武士の規律がゆるんで手が つけられなくなったから、役人がこしらえたものです。江戸時代のその一面だけを捉えて、大和魂を代表させるわけにはゆかない」(加藤周一)

 国内問題にしても、なるほど日本はドイツの場合のように一応政治的民主主義の地盤の上にファシズムが権力を握ったのではないから、「一般国民」の市民としての政治的責任はそれだけ軽いわけだが、ファシズム支配に黙従した道徳的責任まで解除されるかどうかは問題である。「昨日」邪悪な支配者を迎えたことについて簡単に免責された国民からは「明日」の邪悪な支配に対する積極的な抵抗意識は容易に期待されない。ヤスパースが戦後ドイツについて、「国民が自ら責任を負うことを意識するところに政治的自由の目醒めを告げる最初の徴候がある」といっているのは平凡な真理であるが、われわれにとっても吟味に値する。(丸山眞男)

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