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☆2019/8/24更新☆
<無言館&俳句弾圧不忘の碑への旅(全❹回)> ❹<建立の計画を進めてきたフランス人で俳人、比較文学者のマブソン青眼(せいがん〈本名、ローラン・マブソン〉)さん(49)=長野市在住=は、俳句の師匠だった金子さんの言葉を挙げて、「忘れるな。戦争がどれだけ人間を人間でなくしてしまうか」と語る。そして「戦争の始まりには必ず表現の自由の否定がある。表現の自由を否定して戦争に至らなかったという例がないぐらいに歴史では必ずそこから始まる>と新聞は報じた。 俳句弾圧事件は、1940〜43年、俳句雑誌「京大俳句」のメンバーらが検挙された京大俳句事件をはじめ、戦争や軍国主義を批判、風刺した作品を作ったとして、治安維持法違反容疑で次々に俳人が検挙された言論弾圧事件の総称。「不忘の碑」の説明文には、少なくとも44人が検挙され、うち13人が懲役刑を受けたなどと刻まれている。
碑文の最後には、「彼らの犠牲と苦難を忘れないことを誓い、再び暗黒政治を許さず、平和、人権擁護、思想・言論・表現の自由を願って之(これ)を建立します。 呼びかけ人 金子兜太、窪島誠一郎、マブソン青眼 他六十六名 協賛者五百五十一名」と書かれていた。 碑の横の東屋に、弾圧された俳人の作品17句が刻まれていた。 戦争が廊下の奥に立つてゐた(渡辺白泉) 我講義軍靴の音にたゝかれたり(井上白文地) 大戦起るこの日のために獄をたまわる(橋本夢道) 季語にも、五七五の定型にもこだわらない、自由律俳句を追求し、戦争への批判精神いっぱいの句があった。俳人が治安維持法違反のかどで逮捕され、過酷な拷問を受けた。その少なからぬ部分が、『京大俳句』などに集う俳人だった。
無言館の画学生と、弾圧された若い俳人が、一本の線で繋がる。異義深い、印象に残る時間を過ごせた旅だった。(❹終わり。全4回終わり)
Smart Renewal History by The Room
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