編集長の毒吐録
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☆2019/9/22更新☆

<金子兜太は、1919年9月23日、埼玉の秩父で生まれた> 明日2019年9月23日は、俳人・金子兜太生誕100年にあたる。

<日の夕べ天空を去る一狐かな>  「秩父事件の中心地帯である西谷は、荒川の支流赤平川を眼下に、空に向かって開けている。谷間から山頂近くまで点在する家は天空と向きあっている。夕暮れ、陽のひかりの残るその空を一頭の狐がはるばるととび去ってゆくのが見えたのだ。いやそう見えたのかもしれない。急な山肌に暮らす人たちに挨拶するかのように。謎めいて、妙に人懐しげに」

<おおかみに蛍が一つ付いていた>  2014年4月、椋(むく)神社に兜太の句碑が建立された。兜太は挨拶で、出征のさい、椋神社のお守りを母上が千人針に縫い込み、持たせてくれた。多くの死者がでたが守られ生きて帰ることが出来た。椋神社のご恩を感じていると言った。熊谷を拠点にし秩父を産土(うぶすな)として通い、土への親しみからこの句ができたという。

「両神山は龍神山とも言われ、オオカミは龍神と言ったが絶えた。秩父を思うとき、オオカミが出てきてその時光を感じた。光の正体は蛍だ。それはトラック島での戦争体験から来ている。気持を鎮めていたら光の中に連山が見え空想が浮かびこの句になった」

<白梅や老子無心の旅に住む>の句で俳人生活をスタートさせた兜太は多くの句を残したが、僕の好きな句は、<曼殊沙華どれも腹出し秩父の子>であり、<水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る>であり<左義長や武器という武器焼いてしまえ>だ。 <沢蟹(がに)・毛蟹喰(く)い暗らみ立つ困民史>。自由民権運動の中、秩父の農民たちは困民党を組織、昨夏、僕は秩父事件の現場に立った。

<語り継ぐ白狼(はくろう)のことわれら老いて>の解釈の一つに、秩父に多く生息していたという伝説もあるオオカミが困民党を導いたというものがある。句が言う「白狼」は兜太自身ではないか、という者がいる。兜太は書き残している。「秩父という「産土」を思うとき、必ずオオカミが現れる。命の原始さながらにじっと土に静かに立つ」と。

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