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☆2019/10/2更新☆
<京都の近代を創った12人>❿竹喬、華楊と日本画≪➊四方文吉と建物疎開❷堀川弘道と「映画の都」❸ヴォーリズと洋風の近代建築❹渡辺白泉と『京大俳句』の弾圧❺斎藤雷太郎と『土曜日』❻夏目文夫と障害者❼茂山千之丞と伝統の世界❽花谷暉一と原爆被害❾早川一光と医療≫
岡山県の笠岡市立竹喬美術館での開館30年を記念する「山口華楊展」が開かれた。小野竹喬(1889年〜1979)は笠岡出身の日本画家で、京都に住み、山口華楊(1899年〜1984)とも交流があった。
華楊の初期作品の「牛と農夫」(1917年)「角とぐ鹿」(18)から晩年の「原生」(81)「白狐」(83)までの画業が見渡せた。「青柿」(78)。圧倒的な植物の緑に隠れるようにして、画面右下の猫がこちらを見てうずくまっている。猫の目にいすくまれたようだ。「葦」(72)。10本ほどの緑あふれる葦の葉が、空に向かっている。凜とした風情が、人間の生き方をあらわしている。「青蓮院の老木」(73)も緑いっぱい。向こうに白壁があるが、楠の大木とその根が、苔の緑とともに描かれている。
京都画壇の文化勲章受章者は、竹内栖鳳、小野竹喬、上村松篁、池田遥邨、秋野不矩、堂本印象、上村松園、西山翠嶂、福田平八郎、徳岡神泉、山口華楊の11人で、文化都市・京都の宝である。
ところで、京都市は、市美術館の命名権(ネーミングライツ)の契約先を京セラに決定した(京都市京セラ美術館)。命名権の金額は50年間50億円で、市は改修費約100億円の半額を賄う方針。昭和8年(1933)に「大禮記念京都美術館」として峻工した美術館だが、それは昭和3年の市会協議会で建設が決められた。資金百万円で美術館をつくること、「資金を篤志者の寄附に俟つこととし、寄附金募集方法等を取決め」(『京都市政史』昭和16年)いう記述からも明らかなように、当局だけでなく、議会の議決を踏まえ、「讀志者の寄附」によって建設されたことが分かる。
「番組小学校」も「美術館」も「市民立」だった。
Smart Renewal History by The Room
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