ある作家が言っていた。悲しみは、悲しみ抜くことでしか越えられないと。
確かにそうなのかも知れない。
でも、それは強者に向けられた論理である。その悲しみから逃げ出さず、眼を見据えて対決出来る者にのみ言えることだ。
避けられ得ない悲しみの底で、のたうちまわっている者たちには、そんな事を言われたら更に悲しみは深くなり、そこからの脱出が不可能な迷路に陥ってしまうだけだ。
現に、僕は悲しみ抜く方法を知らなかったし、悲しみ抜く強さも持っていなかった。
いやそうではない、徹底して闘おうとした。僕の前に進もうとする脚を、その意志をうち砕く挫折などのようなものには負けないと必死になった。歩行の継続を諦めてしまう誘惑には負けまいとした。
でも、それは無駄なことであった。尽きることなく、そっとやって来る狂気に、身構えれば身構えるほどダメであった。
僕を捉えて離さない狂気は、いともたやすくその意志を砕き、誰をも寄せつけない圧倒的な力で僕の身体を突き射し、僕をグリグリと壊していった。
僕は道で呆然としたまま、歩いていく気力も根こそぎ奪われて立ち尽くすしかなかった。
さらに、僕の何回かの精神病院への再入院、つまり病気の再発は僕が積み重ねてきた小さな幸せのようなものを破砕していった。
生きていくことの技術、方法を、楽しみを、そして自信のようなものをことごとく潰していった。
僕のこころは命のない砂場のように軟弱で、なにかの力が加わると、コロコロと形を変えざるを得なかった。
僕は決して好んだのでも望んだのでもなかったが、本来の自分自身の姿をドンドン失っていった。
僕は、自分が果たして誰なのかさえもおぼつかないほどクラクラにさせられてしまった。
度重なる精神病院への入院が僕の人格のようなものを変形させていった。
闘うなどという、自分の病的境遇の悲しみのエリアから脱出しようとする行為は、僕の力のなさを嫌というほど教えるだけであった。
僕はアリ地獄のような世界にズルズルと巻き込まれ、そこから抜け出す展望のカケラさえ見つける事が出来なかった。
意味もなく無闇にもがき続ける事、そして立ち尽くすことそれが僕に許されたただ一つの道であった。
その時、僕にとって生きていく事は、悲しみ、苦しむ事だけを意味していた……僕の未来にはなんにも待っていなかった……
ある人が言った、その頃あなたは道を生きていく方向を模索していたんだと。
それは嘘だ。
模索というのは、色々な選択肢があって、どれを選ぶのか思い悩むことだ。僕には選択肢なんてなかった。ただ、苦しみ、自分を呪う、さげすむ、痛めつける、はいずり回る、それだけが僕の生活のすべてであったし、巡り来る季節の前で呆然とすること、過ぎゆく季節をなんの哀惜もなく黙って見送ること、時間が過ぎゆき、巡り行く度に僕は自分の命を失っていくような気がするだけであった。
看護ステーションで、寺岡よしえはいつものように髪を後ろに束ねて、書類のようなもの―おそらく入院患者のカルテ、看護日誌のようなものであっただろう―を見ていた。仕事に打ち込むその姿は凛々しく、まぶしかった。
僕は看護ステーションのドアーを開けて、彼女の名前を呼んだ。
「ああ、ユウちゃん。どうしたの?」とカルテのようなものを閉じて、例の笑みを浮かべながら言った。
「うん、ちょっと、話できないかなぁーと思って」
「え?話?……どんな話なんでしょう?」
「どんな話って、とくにこの話って言うことはないんだけどね」
「あ-そうなの。とくに体が悪いっていう事じゃないのね?」
「体が悪いわけじゃあないけど、ちょっと気分が落ち込んでしまって」
それ以上、寺岡よしえは何かを聞こうとしなかった。
「うんわかった。やりかけの仕事を済ましてしまうから、ちょっと待っててね」
僕たちは、そう、僕と寺岡よしえは患者とそれをケアーする看護婦という関係に過ぎなかった。
看護とは、決められた看護のルールと方法を守りながら、患者の健康の快復を促すトータルな行為の積み重ねから構成されているものだ。
健康の快復への否定的な要素を取り除き、その身体と感情の変化を注視しながら患者の確かな生の息吹、快復のプロセスを見守る事をその仕事の本旨としている。
睡眠時間の記録、検温、排便・排尿のチェック、食事の管理、投薬、主治医の指示の実行、報告事項の作成、患者からの医療上の相談などだ。
決して、患者と話すなどという事項は、日常的などうでもいいような会話は別としてその看護行動には属するものではない。看護婦は医師を軸とした医療チームの重要な一員なのだ。
現に、近くにいるのに口さえ聞いたことのない看護婦はたくさんいた。
彼女たちは僕の存在など眼中になかったように感じられたし、それは、担当が違うという理由のみで僕も了解していたし、医療上関わりのない患者と日常的な接触がないのは、ある意味では当たり前のことだとも言えた。
ただ、寺岡よしえの場合は違っていた。僕の、あるゆるケアーの担当であったということを考慮したとしても、それ以上の何かを僕に感じさせるものを醸し出していた。それは、過剰なサービス、なんらかの私情がはさまったものと僕が想像してしまうほどのものであった。
それは、彼女は看護の基本的な事項を他の看護婦と同じようにこなしながらも、それとは別に患者の生活上のニーズには徹底して応える姿勢を持っていたと指摘しても、決して見当はずれものではないともいえたであろう。
おそらく、患者と話すなとどいう行為は、その看護のマニュアルには入っていなかったはずだ。ディルームでも、中庭でも患者と話している看護婦の姿など僕は見たことがなかったから。
でも、僕は思っている。どの患者も孤独であるということを。
男性であれば、女性の看護婦に、女性であれば、男性の看護士に自分の話し相手になって欲しいはずだということを。時には、恋心などいうものさえ持つものだということを。
でも、現実は違っていた。
彼ら、彼女らは患者をモノとして見ている訳ではないが、特別な感情は排して仕事しているように僕には感じられた。その動きと感情の現れ方は非人間的、いや「看護」する器械のようなものであった。
患者はそれらの行動を見て、きっとなんらかの疎外感を感じていたに違いないと僕は思っていた。
(やっぱり、俺たちのことを普通な人間だとは認めていないんだな、もっとも、それって当たっているかも知れないけど……)など入院患者は思っていたに違いない。
勿論、彼ら、彼女たちの忙しさは尋常なものではないということも充分に僕はわかってはいたのだが。
ディルームでコーヒーを飲んでいると、寺岡よしえがやって来た。
「ユウちゃん。お待たせ」
「ああ」どう返事していいのかわからないまま、僕はぶっきらぼうに言った。
「ユウちゃん、あのね、わたしこれから休憩だから、病院の近くを散歩でもしようか」
「え?散歩?」
僕はドギマギしてしまった。
寺岡よしえと散歩。想像さえしていなかった事に、僕はその事に対する、自分の感情をどう表現していいのかまるっきりわからないまま黙っていた。きっと妙な顔つきと表情であったに違いない。
なにか返事をしなければならないという観念と、なにをどう言えばいいのかわからないという気持ちの狭間で、僕はただうろたえるしかなかった。
「田島さん、ユウちゃん。わたしとの散歩って嫌なのかしら?」
「うん、嫌っていうわけじゃあないんだけど……」
僕は照れくさかったのだ。
僕は樋上通子との気持ちのすれ違いで、薄っぺらな思想などというものを彼女に見透かされたような気がしたから、寺岡よしえと話して、自分を、なにかと格好をつけている自分を慰めたかっただけであった。
そうだ、僕は混乱してしまっている自分を取り戻し、自分自身のようなものを回復したかったのだ。
ただそれだけだったのだが……
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