川の向こう側へ
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☆10/01更新☆
第43回

風景の中にはいくつもの意味が隠されているものだ。



 僕がまだ小さかった頃、激しい雨の後に、世界のどこかで革命でも起こったかのようにキリッとした晴れ間が顔を覗かせて、切れるような青空に虹がかかったものだ。

 僕はそんな虹が好きだった。

大雨が降ると例外なく、虹が見られるという想いで心がピンポン玉のように弾んだものだ。

 何故かサイズの合わない、安っぽいゴムの長靴をはき、クチュクチュという地面との擦過音を発しながら虹を探してそこら中を訳もなく歩き回ったものだった。

 でも最近、虹をあまり見ない。

これも、異常気象の表れなのであろうか? その真偽は全く知らない。それとも、虹は昔のように依然として輝いているけれど、その存在に僕が目を向けなくなっただけなのであろうか?

そのどこかに消えてしまったかのような虹の代わりに、今は夕焼けが好きになっている。

 学校を終えた後、家の玄関からランドセルを放り投げ、ただただ外で遊び回っていた僕には、夕焼けは楽しい遊びの終わりを意味していて、憎らしいだけであった。

でも、いつからであろうか、暮れなずむグレーがかった西の空と雲を、戦火のように焦がす夕焼けの鮮やかさ、その哀愁をたたえたような光景がたまらなく好きになっていた。

 あれだけ憎らしかった夕焼けの向こうには新しい、僕の知らない世界が拡がっているに違いないなどと想い、生きていく元気のようなものが時として芽生えてくるのを感じた。

 そうだ。そんな風景の中にも、僕たちは様々な意味を探り当てたりするものだ。

僕の夕焼けの場合がそうであるように、同じ風景でも僕たちにとってその持っている意味は時々逆転したり、反発しあったりする。

 僕が、以前、2年間ほど住んでいたことのある千本中立売の場末には大衆酒場がひしめき合うように営業していた。

 千本中立売の交差点の一本北側の通りを東に向けて入っていくと、南北には大小取り混ぜて多くの酒場が軒を連ねていた。次の小路に出る南角に、結構広い酒場があり、僕も友人たちと行ったものだが、その酒場はいつも混んでいた。

そんなに、きれいな店ではなかったが、メニューの多さ、その多さは眼をむくほどであった。そして、信じられないほど安かったのが繁盛した理由であっただろう。

 その周辺は規模は小さいがどこか、大阪のじゃんじゃん横丁に似た風情を醸し出していた。 その店の前には破れかけたどでかい赤い提灯がぶら下げてあったのを覚えている。

 朝早く起きて、前日の喧噪の名残りがあるその周辺を歩くのが僕は好きだった。

時として、何故か千円札が落ちたりしていたが、酒と肴に日々の鬱とした想いを吐き出した軌跡がそのあたりには充満していた。

 そのあたりの店でしばしの幸福を、学校から解放された休日の子どものように、楽しんでいた男女の物語が深くその影を落としていた。 風景の中に厳とした記憶がしみついたそのなにかについて語りだしたら、際限がないような気がする。

 僕はなにか余計なことを言い始めているような気がしてきた。

言いたいのは、樋上通子の思い出のことで、僕の軌跡が影のようにしみついている街、風景の事ではない。

 樋上通子と言えば、病院の水場での初めての出会い。

水道の蛇口をひねりながら、半身で僕を見つめてきた時の視線の柔らかさ。

 水道、蛇口、視線、トレーナーとジャージが重なり合った風景は僕の記憶の深いところにハッキリとした刻印を残している。

 それになんと言っても、病院のディルーム。雑然とした雰囲気を持ったテーブルと椅子の配列の中に僕と樋上通子がいる。

 彼女の顔には、鉄格子のはめられた窓から射す斜光線が微かにかかっていたりしたが、その斜光。

そして、光を決してさえぎることなく迎え入れるとともに、僕を威圧し続けた窓の冷ややかな鉄格子。

 彼女が座った後ろに設置されていた飲み物の自動販売機。テーブルの上に置かれたアルミ製の灰皿。紙コップに入れられたコーヒーの黒色。ディルームの角に無造作に設置されていた本棚、そこに置かれていた種々の本。病院には不似合いな美術全集などもあった。

 いつも、そんな風景の中に樋上通子はいたりした。



 「ユウちゃん。いつも音楽を聞いてたり本を読んでいたりするね。今日は何という本なの?」

 時間を持て余して、僕はディルームで病院に持ち込んだブローディガンの詩集を読んでいた。

その場所に樋上通子はやって来て僕に話しかけてきた。

「ああ、おはよう」

僕は彼女に笑いかけながら言った。

もう、僕に同意を求めることもなく、隣や向かいに座るような関係が出来ていた。

「ユウちゃん。話してもいい?」

「うん。する事がないから本を読んでいるだけだから」

「ちょっと、深刻な話、いや、深刻というよりも固いっていうべきなのかな。この前、ちょっと長く話したとき、言わなかったけど、別に私、人生を投げているわけじゃあないの。そりゃあ、入院が長くなっていて、いつ退院できるのかわからないから、心は晴れっては言えないけど、この病院に来てから、自分についてゆっくり考える時間が与えられもしたし、うん、カットハウスで働いていたときはもう働きづめで、たまの休みでも研修なんかでつぶれることはしょっちゅうだったしね。この前言った、彼に貯金を取られてしまって夢なんかどっかに飛んでいってしまったような気がしてた……でも、ほら、ディケアーセンターで働いている石川さん、25、6才の彼女。この前、少し話したの。とても、楽しかった。その時、石川さんがね、私の入院経験を生かして、精神保健福祉士になったらって言ったの。私でもなれる? って聞いたら、もちろんって。だから、ここを退院したら、福祉系の大学へ行って、資格を取ろうって思っちゃった。私って変?」

 僕は石川さんって言われても知らなかった。ディケアーセンターについても詳しくは知らなかったし、そこのプログラムは色々あって、ここを退院した人たちが沢山通っていることは知っていたけど、具体的な活動については知らなかった。

 病院には、精神科医、看護婦・士、事務職員、看護助手、ソーシャルワーカー、作業療法士などがいる事は僕が清風第二病院を退院してから知ったわけで、入院しているときは、そんなこと想像をする余裕さえなかった。

だから、精神保健福祉士と言われてもなんのイメージもわかなかったし、その資格を取ることが一体どんな意味があるのかも考えられなかった。

「精神保健福祉士って何をする仕事なの?」

「うん、私も詳しくは知らないけど、そう、これから勉強して理解を深めようって思っているところだから。でも、石川さんが言っていたけど、授産施設や精神保健センター、精神障害者生活支援センター、精神障害者共同作業所なんかで働いて、精神保健相談、グループワーク、生活相談・援助なんかをしていくらしいよ。私、それがどんなことなんかはまだリアルにイメージ出来ないけどね。」

 そんな話をする樋上通子はいきいきとしていた。

それに比して、僕は退院後の生活なんか思いもよらなかった。

勤務先はもう辞めようとバクッと考えていたけど、その後どうやって生きていくのかということは何かの正体不明の障害物によって閉ざされていた。

 だから僕は、そんな話しをする樋上通子が羨ましかった。僕もそうなりたいと素直に思った。

「夢を持つって素晴らしいことだと思う。だから、なんだって良いんだけど、この道の向こうに僕たちを待っている何かに向かって行くことって大切なんだと思うな。入院を契機にして、僕の道は消えてしまったような気がするけど、樋上さんの明日の方の待っているものに向かって行けばいいんだと思うよ。僕たちは、何時だって後戻りしたり、道順を変えたりする自由はあるんだから。がんばって欲しいな。」

「ユウちゃん。激励してくれてありがとう。気がすっきりした。私、がんばれる気持ちがわいてきた」

 その言葉の表情には、病気の兆候は一切感じられなかった。僕は、樋上通子はもう癒えていると思った。



 僕は、警察の二階の取調室でただ時間を待った。

でも、何を待っていたのであろう。

 眼をつむりながら、僕はずっと樋上通子との思い出、いや思い出などというたいそうなものはなかったけど、ディルームで交わし合った言葉の切れ切れを、時々の彼女の表情を回想していた。

 話し合った回数がそんなに多くない分、それだけ回想はリアルであった。ヘアー、メイクアーティストの道を離れ、精神保健福祉士の道を歩むという決意を僕に語ってくれたこと。僕たちは、普通の友達でさえ言い合わないような事もたくさん話し合ったような気がする。

 ある日なんか、突然、「精神の疾患を抱えた者の結婚ってどんなだろう?」となんの照れもなく僕に聞いてきた事だってある。

生きることの意味、夢を持つことの大切さ、挫折を乗り越えていくこと、心の疾患から癒えるとは何か。

 僕は、もう逃げ出したくなるほど、樋上通子は僕に鋭く問い、そしてラディカルに自分の想いを僕にてらいもなくぶつけてきていた。

 あの日だって、そうだった……

 そのときの言葉、表情を僕は決して忘れることが出来なかった……



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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