川の向こう側へ
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☆8/3更新☆
第37回

 人は、時として自分が生きている世界から脱出したくなる。

日常の時間が一切流れていない「どこかの場所」に行きたくなるものだ。「どこかの場所」には、素敵な今まで味わったことのないようなもので埋め尽くされている。

その皮膚に触れるものすべてが新鮮で、自分のこころの内を快くくすぐって来る感覚があるような場所へと。

 毎日何の変化もなく、会う人も同じで交わす言葉さえもパターン化してしまっている状況に耐えられなくなってしまったりするものだ。

 簡単に、来る明日さえもその細部にわたり予測できてしまう単純で、なんの変化も体験出来ない空気の淀んでいる世界―そこから誰かによって、あるいは何かによって抜け出せる瞬間を夢見たりするものだ。

 ただそれ以上に、劇的で恐ろしいほどの不幸は、その夢はだいたいにおいて破られ続け、どこにも行けないという事を大多数の者は知らないということだ。

 転げ回り、のたうち回ってでも、自分の内に揺るぎなく確固とした世界を築けない者に新しい場所など用意されないし、自分の生命が躍動するような幸せなどどこにも待っていない……



 異空間に迷い込んだような感覚はそう長くは続かなかった。

そんなに遠くない糺の森の向こうの方で切り立つ緑の木々の間から、子どもたちがはしゃぎ回っている声が静寂で心地よい音楽に破調を招いた。

「樋上さん、行こうか」

石のベンチから、僕は立ち上がって言った。

「うん」

 僕たちは再び参道の固い土のうえを歩いた。

心地よい風が身体に絡んできた。

子どもたちのはしゃぎ回る声が森に響いていたが、相変わらず鳥たちはそれに乱されることなく自分たちの音楽を奏で、小川も動揺することなく一貫としたせせらぎの美しさを醸し出していた。僕たちは、それを聞きながら、糺の森の北の方向に建っている下鴨神社の本殿に向かって歩いていった。

 僕たちが休んでいたベンチからしばらく行くと、東に抜ける道があった。

「ユウちゃん、この道行ってみようか?」

「うん、どうせどこかに繋がっているのだから、いいか」

僕は彼女の顔を見ることもなく、そう言い表参道を右に曲がった。

ずっと遠くに、家々の隙間から東山の連峰が波打って見えていた。

瀬見の小川には名もなく、欄干もない小さな橋が架かっていた。僕たちはその橋を渡った。橋を渡るとすぐに三叉路に出る。僕はどの道を行くか決めかねて佇んだ。右の道はおそらく、糺の森の入り口、御影通りに行き当たるのだろうが。

「樋上さん、どの道を行こうか?」

「そうね。左に行こうか」

僕はその道を歩いたことはまだ一度もなかった。右の大きな屋敷―その石の壁には「葵邸」と書いてあったが、その葵邸が何なのか僕たちは知らなかった。

左に糺の森、右に「葵邸」、その間の狭い道を北に向かった歩いた。

 その地域周辺は住宅街で、凝った造りの家が多かった。その僕たちが歩いている道には時々、複雑に交叉する更に小さな道が木々の小さな枝のようにのびていた。5分もしないうちに今度は二叉路に行きあたった。

 そこには瀬見の小川の上流と思われる川、それはコンクリートで加工をされて堀川のミニチュアのような川が流れていた。あれほど情緒のあった小川の雰囲気は微塵もなかった。その川は北へと向かい、高野川に合流するのかも知れないが、本当のことは二人ともわからなかった。

 その川には糺裏橋が架かっていた。僕たちはその糺裏橋を渡り、西の方へと歩いていった。時間の関係であろうか、大きな道路とは反対に僕たちが歩いている道は人の影さえなかった。

誰も住んでいないのではないかと思わせる家がただ、佇立していた。

間もなくすると、下鴨本通りに出た。

 下鴨本通りと僕たちが歩いてきた小さな道が交叉する角に大きなマンションが建っていた。

そのマンションの一階部分は店舗であった。その幾つかの店の一つにカフェがあった。ファサードには何も表示されていなかったが、店の中にケーキのショーケースがあるのが入り口のガラスを通して見えた。

「ここに入ろうか?」

僕は樋上通子に同意を求めた。

「ううん、私行ってみたい店があるの。そこに行かない?」

「うん。僕はどこでもいいけどね。樋上さんが行ってみたい店ってどこにあるの?」

「同志社大学の近く、烏丸今出川を上がって、上立売の近くなの」

「あーそう、でもここから結構あるね、どうやって行く?帰院時間の関係もあるし、ほら5時までには帰らなければならない規則でしょ。だから……」

 僕たちが入院している第二清風病院へ行く市バスは地下鉄の終点、宝ヶ池国際会議場からしか出ていなかったし、極端に本数が少なかった。まだ川端通りを走っている僕たちが乗ってきたバス会社の路線の方が本数は多かった。でも、その店はその川端通りから反対の方向であったし、店に入ったとしても充分に話す時間もないことになる。

その店で充分に時間を過ごしていたら、タクシーで帰ったとしても帰院時間に間に合わないかも知れなかった。

 僕は糺の森で時間を過ごしすぎたのを少し後悔したが、樋上通子は時間をまるっきり気にしている様子はなかった。

 いや、ひょっとしたら樋上通子はもう病院には帰らないつもりなのでは? という気がした。樋上通子にとって何にも待っていない病院へ……何の楽しみもなく耐え難い時間しかないその病院には。

「樋上さん、その店へ行ってもあまり時間がないし、今度にしない? タクシーで帰らなければならなくなったらお金ももったいないしね。ねえ、この店にしない? ケーキもなんとはなしにおいしそうだし」

「ユウちゃん、どうしてもその店に行きたいの。お金だったら沢山持っているし、タクシーに乗ってもいいし、いざとなれば……」

「え?いざとなれば、何だって?」

「ううん、なんでもない」

樋上通子は、何かを僕に言おうとして口をつぐんだ。

「いざとなれば、私、病院に帰らず、どっかに行くから」と言葉を続けたかったのではないだろうか? 1年近く病院にいて、何の変化もない生活に耐えていくことはそんなに簡単なことではない。医師からももう一ついい診断を聞いていない。もう1年、いやもう2年などという運命が待っているとしたら、彼女はなにを頼りに自分の命を重ねていったらいいのか。現に社会生活から一切遮断され、すべてのの事に興味を失い、自分の生きている喜びさえも奪われてしまっているように見える多くの患者がいた。彼女も自分の姿をその患者たちに重ねたことは容易に予測が出来た。

 すべての人間が夢を持っている訳じゃあない。

「生きていること自体」に、なんの変化のない毎日だとしても、その事に感謝すべきなのかも知れない。ただ、病院という一つの閉塞状況のなかで、彼女にそれを求めるのは酷であるような気がした。

 僕はとにかく今は、彼女にこのままつき合うことだという想いを固めた。



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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