現代は競争社会である。
あらゆる手をつくして、人に勝つという方法でしか幸せにはなれないという否定しがたい論理がある。
高校などにおいては少しでも、人よりいい点を取り、大学も偏差値の高い所に入る。大学では優をたくさん取り、誰でも知っている大企業にはいる。その企業においては、自己の生活を犠牲にして、企業のために精の限りをつくして働き成績を上げて、出世する。
それは、極めて単純な論理である。
人より、自分は優れているという自尊心を満たすとともに、自分より「劣る」人たちを支配し、命令したり、叱責したりして快感を覚えたいのだ。
人たちが、自分を崇めるという行為の中に自分の喜びを見いだす。人の運命を支配しているという錯覚が自分の偏狭な自尊心をくすぐるという世界である。
そういう人たちにとって、恋愛さえも、自分の非人間的なエゴを満たす手段に過ぎないのかもしれない。そればかりか、家庭などというものさえ、それを構成するものに愛情を注ぐのではなく、自分の意の通り動くコマとしか見ないのかも知れない。
25才で、僕が初めて精神病院に入院してから10年以上の時間が経過した。
もともと、企業のなかでの出世競争などには興味がなかったし、この病気がもとで会社は辞めた。いや、辞めたというより辞めさせられたという言い方の方が事実に近いであろう。
最近、純子に出会うまで、恋愛などというものには全然縁がなかった。仕事も不安定なため、収入も世間の相場からすれば、うんと少ないし、いわゆる「専業」というものを持っていない。一つの仕事だけでは、暮らしが成り立たないのだ。その仕事さえ、いつまであるのかもはっきりしないという状態である。
その意味では、僕は敗北者である。惨めな敗残者である。
人とは、いつの時でも、決して戦っては来なかったが、客観的には競争に負けた存在である。
でも、一体勝利とはなんであろうか?
人の生き死にの中で、勝つとか負けるとかはどんな事を意味しているのであろうか?
社会の中での競争の方法、手段とは何か、地位とか収入とか家の大きさとかが基準であるのか?
僕は病院への入院で、そういったレースから完全に脱落した。
いや、精神病院への入院のせいではない。ずっと前から、負けている。
僕は地位なんてないし、高い地位を目指してもいない。金も生きていけるだけしか持っていないし、家だって賃貸のアパートに住んでいる。
さて、ではどうしようもなく不幸なのか?
その問いには、明快な答えを出すことが出来る。一言、「否」と……
ある時僕の主治医が言った。「田島さんって、もう10年のつき合いになるけど、だんだん強くなっていっているし、人間らしくなってきている。顔だって、いい感じだね」
「そうなんですか。僕って、変わりました?」
「いや、変わったと言うよりも、何かの事情で隠れていたものが前に出てきたって言い方が正確なのかもしれないね。僕が持っている患者の中では、異質だね。なんか、いろいろな雑事をふっきり、生きることに自信さえうかがえるね」
初入院から、僕は精神の不調により何回か入、退院を繰り返していたが、この3年ばかりは入院もすることなく、精神自身も安定なまま推移していた。
仕事の方も、決して順調とは言えなかったが、僕の希望していたものがちょこちょこ企業の広報誌、フリーペーパーなどに掲載されて、それを読んだところから、原稿の執筆依頼が来るようになっていた。
小さな東京の出版社から僕の本の出版企画の話も持ち上がっていた。
勿論、それでも決して売れっ子などではなく、収入は不安定で、生活のきつさは以前と全く変わってはいなかったのだが。
主治医との診察も、僕自身の日常生活の異質な面―躁だとか鬱だとかという事について―の問診などもすっかり影を潜めて、友人同士の語らいのような様相を示していた。
僕が病院に診察に行くのは月1回であったが、診察というより日常会話といった方が妥当であるとさえ言えるようなものであった。
でも、きっと主治医はそういった一見些末に見える会話の中に、僕の精神の微妙な波動をしっかりと診ているのであろうけど……その日もそんな感じであった。
「いや、先生。そうじゃあなくて、可能性に賭けるというような危険な生き方ではなく、もっとリアリステックな生き方をしようと思っているだけですよ」
「リアルな生き方ね。なかなか上手いことを言うね。そう、人はもっと片意地なんか張らずに、素直に生きていった方がいいんだろうね。野心とか捨ててね」
「先生は、野心とかはないんですか?」
「うーん、聞きにくい事をズバッと聞いてきたな。野心といえるかどうかわからないけど、精神医療についての研究会などをやっているんだけど、もっと患者の人権とか福祉とか、なによりも医療そのものの進歩のために何か貢献出来ればいいんだけどね」
「研究会ですか。それはもう長いんですか?」
「うん。そうだね、何人かの医師と一緒に初めてもう6年になるね」
「ところで、先生、僕はもう治ったんですか?」
僕がそう聞くと、主治医はそれまでの表情を一変させ、真剣な精神科医の顔を取り戻した。
「田島さん。躁鬱病というものを甘く見ない方がいいよ。今、僕が診ている限りではどうもないと言える、そんな意味では治ったとも言える、でもいつ何時、再発するかは僕にもわからない。患者の眼から見たら、随分頼りない言い方かも知れないけどね。今は、辛抱の時期だと思う。現実の社会の中には、その人間関係なども含めて再発の引き金がいっぱいあるからね。以前も言ったけど、やりたいことの3、4割程度で押さえておくことが生活のポイントだからね。それをキッチリと守ってれば大丈夫だから」
突然シリアスな場面となった。
確かに、躁転するときは、なんの理由もなく突然やって来る。それは大体において、僕が何かを仕掛けたときであった。
ブレーキのきかないレースカーのように、何かにぶつかるまでそのスピードは決して弱まることはなかった。ぶつかるとは、僕の躁状態の行動が歯止めがきかなくなる状態のことだ。そうなると、2、3日徹夜しても、何ともなかった。いや、むしろ休むということが、何かを損失してしまうかのように感じられてしまうのだ。
そんなとき、入院で沈静させるしかなかった。きつい抗躁剤を服用し、その行動を著しく制限することによって……
樋上通子と一緒にバスに乗って、眼を瞑ったまま僕は眠ってしまった。
「ユウちゃん。ユウちゃん」
突然、樋上通子の声によって僕の眠りは遮断された。
僕の夢は強制的に現実に引き戻されてしまった。
窓側に傾いていた僕の身体を起こし、2、3度顔を手で拭き意識を正常に戻した。
「今どこ?」
「もうすぐ、出町柳。ここで、降りようか?私、糺の森を歩いてみたくなったから」
「うん、わかった」と僕は答えた。
僕は下車ボタンを押し、僕たちは御影橋を過ぎたあたりで席を立って降りる準備をした。
始発の時には、疎らであった席もほぼ満員になっていた。何人かが出町で下車した。
何重にも重なり、今にも落ちてきそうな空は幾分軽くなっていて、南東の方に薄い青空が見え隠れしていた。
|