川の向こう側へ
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☆7/9更新☆
第34回

 病院の一帯はあまり開発の手は届いておらず、どこにでも見られるマンションなどは建っていず古い土蔵などが立ち並ぶ農家が多かった。

 建物自身も古かったが、大きな家ばかりか、町中ではとうてい及びもつかない庭の広さがやけに目立っていた。

僕たちは、初めての二人の散歩をそれぞれに思いを抱きながら楽しんでいた。

 しばらく歩いていると、舗装をされた道に出会った。知らない道を歩いてきたため、方向の感覚が僕は狂っていた。

「樋上さん。この道って、バスが走っている道?」

「うん、そうだと思う。向こうが比叡山だから、右に行けば、おそらく叡電が走っている所に行き当たると思うんだ。右に曲がろう」

 僕たちは右に曲がった。

小さな川はどちらの方向に流れているんだろうか、もう完全にその姿を消していた。

 道路の右に町中の店とは全然趣きが違う酒屋があった。僕の田舎の方でさえあまり見あたらない、板塀のなんにも気取っていない雑貨屋風の酒屋で、いい風情を醸し出していた。

樋上通子は、その酒屋の自販機の前で立ち止まり、「ユウちゃん、コーヒー飲む?」と僕に微笑みかけた。

「うん。でも、ブラックコーヒーじゃあないから、ウーロン茶の方がいい」と僕は返事した。

僕たちは時々、手にした飲み物で喉を潤しながら歩いていった。道路の左側の先の方に小さなお寺が見えてきた。樋上道子は一人で、そのお寺に向かって走り出した。

「ねえ、ユウちゃん来てみて。素敵な言葉が書いてある」

僕は彼女の言葉につられて寺に、小走りに急いだ。

 その小さな寺は浄土宗の寺であった。入り口の塀の横に大きな額って言うのだろうか、おそらく特別な呼び名があるんだろうが僕は知らなかった。

その「額」には大きな和紙に墨で「ものごとには終わりがあり、又新しい陽は巡る」と書いてあった。

 別に奇をてらったものでも、うなるような文句でもないと僕は思ったが、どうしてか樋上通子は喜び、感心していた。

 きっと、自分の病気に引きつけて、自分の病気だっていつかは治るものだという想いを喚起させる言葉であったのであろうか。そんなことを想像しながら僕は否定することなく、「うん、そうだね」と相づちを打った。

「ものごとには終わりがあるんだよね。嫌なことだって、いつか私の前から消えていくよね。そして、まったく新しい日が始まるんだよね」

 初めて遊園地で遊ぶ子どものように、彼女ははしゃいでいた。僕は、その姿を見て、いじらしいと思うとともに、なんだか悲しくなってきた。

「うん、きっとそうだよ。さあ、行こうか」

どこへ行くともなく、僕たちは再び歩き始めた。ポツンポツンと雨が降ってきたが、あまり気にならなかった。傘を用意してこなかったことを後悔するほどの雨ではなかった。

 浄土宗の寺は三叉路の北東部の角地であった。その角地を僕たちは左に曲がった。曲がり切ると、そう大きくないが、子どもたちが充分に遊べる広さの公園があった。

「ユウちゃん、公園のベンチに座ろうか?」

「うん、そうしようか」

 その公園は真ん中辺りは土が剥き出しであったが、それ以外はただ整地されていないのか、意識的なのかどうかわからなかったが、5、6センチぐらいの草が土を覆っていた。

僕たちは並んでベンチに腰掛けた。

「ユウちゃん、キャンディでも食べる?」

「ああ」

 樋上通子はバッグからキャンディを出した。チェルシーだった。

「僕、チェルシーは大好物、特にヨーグルト味が好みなんだ」

 キャンディを食べながら、僕たちの間に沈黙が続いた。お互いに、眼前に拡がっている北山の山々を見ながら、なにも喋らなかったが、それは全然苦にはならなかった。むしろ、沈黙という方法で会話していたという言い方が的を射ているかもしれなかった。その沈黙はどれくらい続いたのであろうか、突然樋上通子が口を開いた。

「あのね。ちょっと、私の話、聞いてくれる?」

「うん、なんの話? ひょっとしたら、長くなる?」

「ええ、決して短い話じゃあないね。以前、病院のディルームでちょっと私の話をしたけど、言っていないことまだまだあるから、ユウちゃんに聞いて欲しいの。私のこと理解して欲しいから」

 僕は、人の話を聞くのは嫌ではなかった。いや、むしろ聴くのは好きな方であったであろう。そのとき、瞬間的に彼女が僕に話したかったことはきっと重い話であろうと思った。

同時に、その話を聴く態勢が僕の方には整っていないことも気が付いていた。

 人が人を理解するということは簡単なことではない。

それは、自分の考えを捨て、一切の前提を捨てて、なんの予見もなく相手の世界に入り込み、その人特有の文脈の意味を解きほどくことである。それは、内省的に物事を考えることよりもはるかに難しいことであると僕は考えていた。

 僕にとって、人を理解するということは、相手の精神の波動とこころの仕組みのようなものを、なんの解釈もなく感じることであって、相手の話に対して自分の価値観を押しつけることとは正反対の軸に位置していることを意味していた。

「樋上さん、喫茶店で話そうか」

「そうね、別にここでなかったらダメという話しでもないしね」

樋上通子は、簡単に同意した。僕が嫌がっているのでもなんでもないことを見抜いたのであろう。

僕たちは再び、バスが走っている舗道に出た。

「どうする。バスにする、それとも電車?」

「バスにしようか」と僕は言った。

 バス停まで歩き、僕たちはバスを待った。丁度、あまり待つこともなく街場へ行くバスが来たので乗り込んだ。

 僕は、座席に座ってすぐに眼を瞑った。そして、樋上通子の話を聴く態勢を整えようとした。


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■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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