僕も純子もジャズが好きだった。
僕はセロニアス・モンクが、純子はエラ・フィツジェラレドが好きだった。勿論、僕もエラが好きだったし、純子もモンクを好んでいた。
僕は「ソロモンク」というアルバムが、純子は「エラ アンド ルイ アゲイン」というアルバムが第一のお気に入りだった。
お互いの部屋で、それらを宝物でも扱うように、プレイーヤーの針を静かに落とし、何度も何度も聴き合った。一言も言葉を交換することもなく、繰り返し、繰り返し聴き合った。
その音楽について感想とか評論とかは一切不要であった。
同じ時間の同じ空間で、同じ音を聴き合う事自体に意味があった。
本当に、僕らは黙ったままの状態でも、お互いのことが分かり合えるような気がしていた……
僕はライターだったが、売れっ子でもなんでもなく、いつも金がなかった。
だから、二人で洒落たレストラン、カェなどには滅多に行かなかった。
僕たちのデートは賀茂川の散歩だった。
それも、北山橋の東側の道を、夕暮れ前にただひたすら歩いた。
道幅の狭い桜並木の間を腕を組んだり、手をつないだりしてただ歩くだけのもの。それは賀茂川と高野川が交叉する出町柳まで続けられた。
雨の日には一つの傘に入って、天気がいい日には、時々敷き詰められた草の絨毯に寝ころんたりしながら、他愛のない話をした。
他愛のない話?
そう、他愛のない話だった。
他愛のない話―飼っていた猫が死んでしまって悲しかったこととか、インフルエンザにかかって死にそうになったとか、ちっちゃい時母が買ってくるシュークリームが楽しみだったとか、子供の時、父親に馬に乗せられ、怖くて泣き出した話だとか、茄子の入ったカレーが好きだとか、みそ汁はタマネギとジャガイモのものが一番だとかそんな話だったりした。
でも、僕は満足だった。洒落た店で美味しい料理を食べるよりずっとずっと楽しかった。
そして、度々の僕たち二人の歩行の終点はいつも出町柳であった。
それは、四条大橋から、北に向かって開始されたとしても、やはり終点は出町柳。
そして、いつも出町の舗道に植えられた柳に身体を掠められながら、ジャズ喫茶「ミスティ」の90センチしかない渋めに変色したウッドのドアーを開けていた。
「ミスティ」は二人が初めて出会った場所であり、二人の間を少しづつ縮めていったフィールド。
賀茂川の散歩の間はおもっきり喋り、「ミスティ」では、あまり喋り合うこともなく、ただジャズを聴いた。
僕は、いくつかあったジャズ喫茶のどの店よりも「ミスティ」でかかるレコードが好きだった。
マスターは、まるで店を訪れた客の音楽的嗜好がすぐわかるかのように、グイグイ心を押し開けてくるレコードをかけ、時には疲れたこころを見事に和ましてくれた。
彼はそれらのレコードについて、別に含蓄を披露することもなく、たまに僕が「このレコードいいですね」と言っても、愛想を振りまくこともなく「ああ」と言うだけであった。
僕が、店の常連と呼ばれてもいいほど通い詰め、3カ月ぐらい経った頃の事だった。
「あんた、仕事はライターだったな。コピーライター?」と彼は話しかけてきた。
「いいえ、コピーライターもしますけど、コピーライターっていうより、取材から、雑誌の企画、パンフレットの制作と構成、種々のマニュアルの制作、旅行エッセイ……要するに、仕事さえあれば何でもします……」
「どっかの会社に勤めてんのんか?」
「いいえ、フリーです。だから、僕自身の能力もあると思うんですが、なかなか、仕事がなくてたいへんです。いろいろな出版社、デザイン事務所、印刷会社、企業などに出入りして、仕事をもらっているんです」
「それで、ごはんは食べていけてんの?」
「ええ、仕事の量にもよりますが、そういった仕事だけでだめな時は、まるっきり違ったアルバイトをしたりして、何んとか食いつないでいます」
「ふーん。思ったより大変やなぁ。もっとも、この店かて楽やないけどな。まあー、ぼちぼち頑張って」
「はい、ありがとうございます」
店のマスターは僕より一回り以上うえに見えたが、僕は彼の年令を聞きもしなかったので、実際は何才なのか分からなかった。
僕は「ミスティ」に純子と一緒によく行ったものだが、ひとりでもよく行っていた。
あまり、客に話しかけることのないマスターも時々、僕に話しかけるようになっトいた。でも相変わらずジャズの話はなかった。
「初めから、そのライターなんか?」
「いいえ、大学を卒業してから、少しばかり本屋に勤めてました。ちょっと事情があってやめたんです」
「マスターは初めから、ジャズ喫茶を?」
「うん、この仕事しか知らへんな。岡崎公園の近くで、そう若い時に店を始めて、20年以上になるな。昔は、ジャズ喫茶もたくさんあったけど、ずいぶん減ってしもうて……」
ジャズ喫茶がもっとも盛んであったのは1960年代の後半から、1970年代の前半ではなかったであろうか。
時代的には大学闘争が興隆した時期と重なる。
その頃は、どの店も好きではない人には我慢できないほどのボリュームでアバンギャルドなジャズをかけていた。
みんな、そのとんでもない音量のレコードに身体を揺すりながら、足を踏みながら聞いていた。2時間も3時間ものの長い時間をただ黙々と―。
それは、ある意味では、学生たちの、若い人たちの反体制の感情を表出する文化のひとつの潮流であったかもしれない。
アメリカからやって来るジャズメンのライブには2000人ぐらいの人たちの熱気で溢れかえっていたものであった。
時代は変わる。そう言えば、ボブ・デュランにそういう曲があったような気がする。
とにかく、時代はいくつかの遺制を引きずりながら、新しい装いで形を整えながら進んでいく。文化の旗手たちも変わっていく。ジャズを聞く人たちも若い人よりも、その時代をようやく生き抜いて50代に達した人たちが主なリスナーになっている。
「僕は、ここで聞くレコードが好きです」
「ああ、おおきに」
僕は、ライトニンのブルースが流れるなか、いつもそうするようにコーヒーのおかわりを注文した。
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