僕は30才後半にして、まだ独身であるということにどんな意味も持ち合わせていなかった。
そのことは、誰にも説明の出来る明快なものではなく、確たる理由もなかった。精神疾患による、度し難いコンプレックスが何となくそうさせていたのかも知れないし、僕の知らない間に身に付いた生き方のスタイルだったかも。
結婚しないなどと心に誓ったことなど一度もなかったが、結婚したいという願望もそれほど強くはなかった。
ただその感情に、いくらか格好をつけている、強がっているという要素がまるっきりないというのは嘘になるが……
生活を楽しくするために恋をする、自分の寂しさを癒すために、又やりきれなく居場所がないという空虚感を払拭するために、人の温もりを探しているわけでもなかった。
自分ひとりで生き、共に生くべき人がいない自分の世界と向き合うことに、身にそぐわない違和感を感じていたわけではないし、嫌気が射しているわけでもなかった。
僕は、抗しがたい運命などというものを信じず、歴史の流れの中には確固とした人々の意志が複雑に絡んでいるのと同じように、自分の生きていく方向性は自らの意志で切り開いていくものだという感情を捨て切れずにいたし、僕にしか描けないものを過ぎゆく時間の中に刻み込みたいと密かに考えていた。
僕だけにしか演ずる事が出来ない僕のドラマ
僕だけにしか言うことの出来ないかけがえのないセリフ
僕にだけしか許されていない無二の仕事
僕が生まれてきた意味がわかる出会い、そのシーン
僕が何かを賭しても悔いのない女のひととの生活
僕が共に手を携えて生きていける人の存在、
そして、狂おしく願っていた。
身を挺しながらどんなに激しくぶつかっても崩れそうもない壁に、ぶつかり続ける意志の持続を、
傷つき、血を流しながらでも、壁の向こう側に展開される何かを追い求めていく、決して萎えることのない意志の持続を。
僕と純子の間にあって、その関係を遮るスクリーンのようなものは少しずつ形を変えていった。
だんだんと、その混濁した色彩を薄めていき、透明感を増していった。僕と彼女が一つのものとして、同化してしまいそうな、めまいに似た体感が身体の芯をよぎっていくのか知らされた。
純子が僕のことをどう思っているのかなどと考える必要は跡形をなくしていき、ただあてもなく変わり映えがせず、日常のありふれた喧噪な街を並んで歩くだけでさえ純子の存在の意味を、身体全体で感じることが出来るようになっていた。
僕は、純子の僕に対する気持ちを、その何も形容する事のない裸の言葉…こころの核からほとばしるような言葉を待ち望んでいたのは事実であったが、それ以上にともに何かをする、リズミカルに歩調を合わた協同行為を求め始めていた。
「愛している」などという言葉は簡単に使うべきではないし、又言えるものでもない。
それ以上に、愛のかたちについて、気に入ったマグカップでもなぞるようにその形状を温度を、そして色彩を確かめることは出来るものでもない。
ましてや、ベッドワークの後で、常套句のように語られるものでもない。
でも、愛のスタートラインなどというものがあるとすれば、僕は間違いなくそのスタートラインを切り、果てなき愛の旅路を歩き始めていることに気づき始めていた。
きっかけとか理由とかを、誰かに聞かれれば黙するしかなかったが、僕は純子の身体を、その身体に綺麗に包み込まれている精神を、自分自身の身体の一部のような感覚で愛おしく思い始めていた。
茫洋として、かたちが整なわず、向こう側に霞んでしか見えない何かに向かって行こうとする決意を固め始めていた。
|