川の向こう側へ
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第25回

 散歩に出かけていた僕と上田浩二は4時20分過ぎに病院の玄関に着いた。

その足で三階のナースステーションに向かい、看護婦の寺岡よしえを探したが、彼女はいなかった。

上田は、主任看護婦の市原に「寺岡さんは?」と聞いた。

「ええ、今、ゴタゴタしたことがあって、大変なんです。ここには、いません」

上田は、怪訝そうな顔をして、市原に更に聞いた。

「ゴタゴタって、寺岡さん自身のこと?寺岡さんの周りに何か起こったの?」

主任看護婦の市原は、どうしてそんなことを聞くのという表情をしていた。それは、明らかに、患者のあなたには関係ない事でしょうという言外の意味を表していた。

僕は、これ以上聞かずに、帰院手続きを市原にしてもらえばいいのにと思ったが、上田は、自分の恋人の消息でも心配するかのように、寺岡よしえの行方を聞こうという意志を決して捨てていないようであった。

聞き分けの悪い酔っぱらった男のような執拗さで、言葉を続けた。

「そりゃあ、病院の看護婦だから、いろいろ仕事があるだろうけど、俺が予定通 り、帰院したから、ここの外出ルールを守って、帰院届けを書こうとして、聞いているんだよ。別 に、彼女の消息だとか、今の仕事の状況について聞こうって言っているんじゃあないんだよ。おい、あんた、なんだよ、その偉そうな態度は」

上田の声は低く、ゆっくりとしたもので、決して大きな声で言っているんじゃあなかったけど、相手を射すくめるような迫力があった。

例によってサングラスのため、その目線の鋭さ、顔の表情などは確かめようがなかったが、きっと、市原の態度に納得せず、腹に据えかねた表情をしているに違いなかった。

その態度は、自分を馬鹿にするようなことは許さないという侠気のようなものが滲み出ていた。

僕は一瞬何かが起こるのではないかと焦った。

「ごめんなさい。そう、興奮しないで」と、市原主任看護婦は、ナースステーションのなかから、上田の正面 をむき直してから、なだめるように、しかも堂々とした態度で応えた。

「ちょっと前、問題行動を起こした患者さんがいたから、今、手を取られているの。その患者さんの主治医と行動を共にしているところです。それ以上は、患者さんのプライバシーと医療行為に関わることだから、言えません。帰院届けなら、私が変わって受け付けますので」

 僕は患者と看護婦の関係は一体どんなものであるのかについて医学的な知識も、あるいは常識的な知識もあまり持ち合わせていなかった。

僕が、忘我自失のような状況に陥ったとき、中庭のベンチで彼女が僕に対して示したものは、あれは看護活動なのであろうか。どんな看護婦でも行う当たり前の行動であったのであろうか?

確かに、僕は病人であり、精神のバランスを著しく壊してしまい、医療行為を受けずに自力で正常な精神を恢復することは出来ないと、友人たちが判断し、精神病院に入れた。

 はじめは、そういう所に入れられたというショックで、あるいは病棟にいる精神疾患を抱えた自分というものを受け入れられず、現実との折り合いが上手くつけられなかった。

ここに入院をしている患者の病気の状態についてなんの理解も持っていなかったため、勿論、今も精神疾患について正確な知識を持っているわけではないが……、彼ら、彼女らへの看護活動全般 がどのように展開されていたのかなど知る由もない。

 僕と彼らの看護活動はどういう点で重なり、どういう点で異なっていたのかも見当がつかなかった。

上田はアルコール依存症だというが、アルコール依存症にはその病気特有の看護活動があるのであろうか……僕は、院外の上田との散歩で、彼が何も喋らなかったとき、そんなことを雑ぱくに考えていたのだが、今、市原主任看護婦の言葉から、問題行動を起こした患者への、寺岡よしえの看護は僕に示したものとは違うものなのであろうか?

僕はそんなことを瞬間的に想いながら、上田をただ見つめていた。

「ああ、俺だって、あんたを困らすことなんかしたくはないさ。ただ、ルール通 り帰院届けをしたかっただけさ」そう言って、僕の方を見て笑った。

その時だった。寺岡よしえがすさまじい勢いで僕たちの方へと走ってきた。

そして、僕の腕を強くつかみながら、言った。「田島さん。今いい、ちょっと来て」

僕は何がなんだかわからなかったが、寺岡よしえのその緊迫した表情を見て、何か起こっているなと咄嗟に思うとともに、なにかの判断をする前に、彼女と同方向に走り出した。

僕の後ろから「しっかりやれよ」という上田の声が聞こえた。



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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