川の向こう側へ
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☆4/23更新☆
第24回

 上田浩二は僕が握った手にもう一方の手を軽く重ね、横に並んでいた僕の方に顔を向けながら言った。

「ありがとう……田島さん、ありがとう。人間はさあ、何んらかのの可能性を信じて生きていく動物なんだよね、向こうの方に、ぼんやりでも何かが見えるから、進んで行けるんだと思う。だけど、俺、何にも見えないんだ。振り返れば嫌なことばかりで、前を見据えると、もっと受け入れがたい残酷な陥穽しか待っていないような気がして。どこをどう行けばいいのか……とにかく怖いんだよ、明日がやって来るのが」

 明日には、陥穽しか待っていないような気がして、怖いという。それは絶望という名で呼ぶものであろうか?

 一切の、確かな希望のようなものから見放されて、明日を生き抜く力が身体から湧いてこない場合、人は果たして何を拠りどころにしていくのか僕にはわからなかった。

 僕が入院という現実のなかでさえ、悲観を感じつつも、決して絶望を感じていないのは、来るべく明日の中に微かな望みのようなものを抱いているからであったのであろうか。

強い意識ではなかったが、耐え難い現実はいつか消え去るという感覚が心にあったのは事実であったが。

 僕が何も言葉を続けず黙っていると、さらに、上田浩二は中空に眼を遊ばせるような感じで言葉を重ねてきた。

「田島さん。俺、人生を半分以上捨てて生きているんだよ。これから生きていても良いことなんかなんにもないような気がするし、今までだって、何か期待したことはことごとく壊れちゃって、期待したぶんだけ、その反動というか、辛い気持ちを味わって来たし……もう生きているなんて感覚もどっこかに行ったような気がするんだよ。ただ生きながらえているだけ……」

「いいえ、僕だって、精神病院に入院して、これから先、一体僕はどうなるんだろうっていう気持ちで一杯ですよ。」

「さっきも言っただろう。精神の病気は治るんだよ。俺、アル中で何度も入院しているから、知っているんだけど、治って行ったやつたくさんいたさ。だから、先生の言うことをしっかり聞いて、無理をせず規則正しい生活さえしていれば、再発はしないって」

「僕だって、そうなって欲しいとは思いますよ。でも、病気の状態を、つまり精神の疾患の状態をあまり軽視しない方がいいって先生も言っているし。僕の場合、病名さえもまだわからないような状態なんですよ」

「どんなことがあったって、人間なにか立ち直りのきっかけさえ掴めば、再び元気に生きていけるもんだよ。挫折なんて、畑の肥やしと一緒。確かに多すぎたら、俺みたいにくたくたになってしまってたいへんだけど、適度なものは人間を強くするもんだよ。たった、一度の入院なんか気にするんじゃあないよ」

 上田浩二の言葉は主治医の言葉と違った意味で、僕を落ち着かせるニュアンスを持っていた。

しかし、いつ退院出来るのであろうかという不安以上に、この病気は再発するもので、その疾患が体質化するのではないかという不安が僕をとらえていた。

挫折。

初めてのつまずき。

精神の破綻ー狂ってしまった心のリズム。

 入院を機に、僕は自分の嫌になるほどの弱さを痛切に知らされていたが、そこから抜け出す方法は思いつけなかった。ただ、まだ25才なんだから、という楽観的な思いが何んとか僕を支えていたし、上田の言葉はある意味で救いであった。

「田島さん。そろそろ、ドアーが閉まる時間だね。病院に帰ろうか」

「そうですね。帰りましょうか。上田さん、今日はありがとうございました。なんか、心が少し和みました。僕、耐えてみせます」

「そうだね。神様が、自分の事を考える時間を与えてくれたんだと思えばいいさ。いまは、休憩の時間。人間走るばかりがじゃあだめだよな、うん」

 僕らは座っていた草むらから立ち上がった。

帰院時間といっても、まだ4時過ぎだったけど、4時半には一階の扉が閉まってしまう。

春風が心地よかったし、もう少し上田浩二と話していたい気分であった。

でも病院では約束事が守れないと、様々の行動が制限されるようになっていた。外出も禁止されるということを聞いていたし、現に外出が禁止されている入院患者もいたことを僕は知っていた。

 僕らは病院に向かってゆっくりと歩き始めた。



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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