川の向こう側へ
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☆4/2更新☆
第21回

 今でも、決して崩れることなく、綺麗な形をした記憶が僕の中に残されている。

僕は、精神疾患に罹病していることを純子に告白すれば、そのことを彼女が受け入れられずに、二人の関係が壊れてしまっても仕方がないと思っていた。

 僕の病気のことを知った上で、なおも気持ちを変えることなく僕に向き合うことは出来ないであろうと想像していた。

いや、想像と言うよりも、確信といった方が近いかもしれない

僕なんかと一緒にいるよりも、ほかの誰かとつきあった方が彼女の可能性は膨らんでいくし、女性としての魅力も磨かれていくのではないかと思っていた。

 ある意味では、僕が僕自身に対して確固とした信念が持てずにいた以上に、純子を信頼していなかったのかもしれない。

きっと、彼女の僕に対する気持ち、彼女自身の人間性を等身大のレベルで理解していなかったのだろう。

 だから、純子の23回目の誕生日を祝ったホテルでの告白のあと、彼女の口からジャズバーへ行こうと言われたとき、その真意を正確に理解できなかった。

おそらく彼女のけじめとして、その日を二人の最後のデートにするつもりだろうなと思い、かなり沈んだ気持ちでタクシーに乗っていた。

 学校に通う者には必ず卒業式がやって来て、いくつかの望まない別れがごく当たり前な自然現象として自分の世界にやって来るように、彼女との避けられ得ない別れを予測していた。

 タクシーは堀川丸太町から四条通りまで下がり、四条堀川を左折し、四条木屋町の交通信号の手前で止まった。

 タクシーから降りて、僕たちは、木屋町通りを上がって行った。

週末でもないのに、木屋町通りは20代の人たちで溢れかえっていた。彼らはどこかの店に行くという感じはせず、持て余した時間を歩くことで無理矢理消化しているように見えた。その若い人たちの間をネクタイを締めたサラリーマンが歩いているのが散見されたが、何か場違いな印象を与えていた。

 時間が早いせいか、酔っぱらって、足元がふらついている者など、誰一人としていなかった。

僕たちは、高瀬川に架かる最初の橋を渡り、河原町通りに向かって歩いていった。そして、二人歩けば道が塞がれてしまうほどの狭い路地を北に向かった。

その裏通りには、大衆的な中華料理店、沖縄料理店、小料理屋、蕎麦屋、焼き肉屋、スナックなどがひしめきあっていた。表通りと比較して、ネオンも少し暗く、何かすねたような光を放っていた。

その路地を15メートルほど行った先、西側の古い雑居ビルの2階が「フォルキー」である。

 僕はこの店に時々行っていたが、彼女と二人で行くのは確か2回目のはずだった。

ドアーを開けると、ブルースが一挙に僕たちの身体に突き刺さるように流れてきた。

僕たちは入り口に近いカウンターに座った。僕がアーリータイムズのロック、彼女はソルティドッグを注文した。

 店一杯に流れていたブルースは、悲しみを深く歌い上げるようなギターと激しい感情をストレートに叩き出すピアノが絡み合っていた。

僕の複雑な心情にピタッとくる曲であった。

 奥の黒い壁に架かっていたレコードジャケットを見たら、オーティス・スパンの「The Blues Is Where It's At」というアルバムであった。

 僕はかかっているレコードに意識を傾け、ピアノとギターの格闘、それに被さってくるオールドスタイルのオーティス・スパンのボーカルを黙ったまま聞いていた。

彼女も僕に話しかけることなく、眼を瞑ったままレコードの音を追っていたようであった。

15分ぐらい経って、レコードの演奏が終わったとき、彼女が口を開いた。

「私、ユウちゃんの病気に対して、一体どういう態度を取ったらいいのかしら?」

彼女は下を向いたままの姿勢で、僕に聞くというよりも自分に問いかけるような口調の言葉であった。

「えっ?何だって?良く聞こえなかったけど……」

「うん。さっきね、ホテルで、ユウちゃん、ほら、私に精神の病気のこと言ったじゃない。きっと、何か私に期待、期待って言ったらおかしいけれど、そう、何かを私に求めてるんじゃないかって思ったの。ただ、それにどう応えて良いか解らないの。だから、ユウちゃんに対して、どんなことを注意して向き合ったらいいのかなぁって……別にそのことを聞いてユウちゃんのことが嫌になったということはないんだけど、私、どうしていいか解らなくて……」

 純子を好きになったひとつの理由は、どんな場合でも正直に、何にも気取ることなく、僕に接してくる、その生き方の姿勢に好感が持てたということだった。

 彼女は如才なく、色々なことに対して何のホ見もなく生きていた。

自分が知り得たことは、貪欲に自分のものにしていったし、人に聞く以上に、自分で勉強するタイプであった。 解らないことは「解らない」と、はっきり言ったし、何かの問題─政治の問題でも、芸術なんかについてでも、スポーツ、音楽などについても─について僕が意見を求めたりしたときも、僕の言った事の一言一句を決して漏らすことなく聞き、一回、自分の世界の中で咀嚼、吟味してから、論理的に考え抜かれた言葉で意見を言った。  隠すとか、問題をはぐらかすとか、逃げるとか一切しない女だった。要は、事を曖昧にしない女だった。だから、時として、疲れることはあったが、今まで会ったどの女よりも、話してて、確かな手応えを感じることが出来る女だった。そんなとこが、僕は好きだった。

「精神疾患っていっても、人によっていろいろだから、注意っていっても、特にこうすれば良いということは言えないんじゃないんかなぁ。僕は、ただ、隠すことが出来なかっただけなんだ、心のハンディを持って、生きていっているということを知って欲しかっただけなんだと思う……だから、それは純ちゃんが考えるべきのことで、僕の口から、こうして欲しいとは言えない」

「うん、もう少し、一人で考えてみる。出る?」

彼女は、帰ろうと言ったが、もう少しと僕は応えた。

僕は、何となく、もう少し、彼女と一緒にいたかった。意味もなく、流れていく時間を共有していたかった。

僕たちは、スピーカーから流れてくるルイ・アームストロングの「サマータイム」を黙ったまま聞いた。



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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