川の向こう側へ
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☆3/26更新☆
第20回

 僕は拙い方法かも知れないが、僕のやり方で純子を愛していた。

それは、初めて雪渓を歩くようなたどたどしくて、他人から見たら、笑えてくるほど不器用な愛し方だったかもしれない。精神疾患を抱えているというどうしようもないコンプレックスは克服しようがなかったが、僕は勇気のようなものを振り絞り、何とかして純子と共に生きていこうとした。

 勿論、共に生きていくということがどんな意味を持つのか、どんな形を創り上げていくものなのかを正確に理解していたわけではない。子供たちが何の設計図も持たずに泥土をこねくり回し、自分の想像力のみを頼りに何かを創り出していくように、極めて原初的な欲求の本能的で観念的なものであったかもしれない。 ただ、純子が僕の前から消えていくことなど想像もできなかった。

 例え、不器用な愛し方だったとしても、その愛を表現することは、僕にとって生きていくことそのものを意味しているように思えた。

 病気が再発して再入院になるような事態を迎えることよりも、純子が僕から去っていくことの方がはるかな重大事のように恐れていた。

 そういう僕が嫌でたまらなかった。

純子への愛情を自己に引きつけ、いかに表現するかという世界に身を置くのではなく、精神疾患を抱えながら、時として、曖昧な非定型で迫ってくる孤独感、挫折感、やるせなさにひとり耐えながら生きていくことが僕に許された世界ではないかとストイックな気分になるのはしばしばであったが、徹しきれずに時として爆発した。  僕が初めて、純子の前で泣いたのも、二つに分裂した感情を上手にコントロールしきれず、泣くという方法で何かを突破しようとしたのかも知れなかった。

 純子は、泣いている僕をじっと冷徹に見ていた。

「すっきりした?」

「36才にもなって、みっともないって思っているだろう?」

「ううん。偉そうに聞こえるかも知れないけどね、泣くって、いろいろあるこころのなかの屈折したものを浄化する作用があると思うのね。悲しみって、排斥するものではなくて、こころの深いところで受け止め、悲しみ抜いて、涙といっしょに流し出せば良いんだと思う。さっき言ったみたいに、ユウちゃんの悲しみ、辛さを自分のことのようには理解出来ないけど、ずっと側にいて静かに見ていたい……ユウちゃんのこころには同化できないけど、深く関わっていたい、そう思っているの。ユウちゃんの悲しみの同伴者でいるつもり……」

 〈悲しみの同伴者〉という彼女の言葉を聞いて、彼女は僕なんかよりずっと大人なんじゃないかという想いがした。

 僕は恥ずかしくなった。

「くそ!負けるもんか。泣いたって、何が変わるんだ。くそ!」

「ユウちゃん。ごめんね。私何んにも出来ない、ユウちゃんが苦しんでいても、助けてあげられない。ごめんね、ごめんね」

 突然、彼女は内から押し寄せてくる感情に抵抗することなく頭を左右に振りながら、僕の背中に腕を回しその手にあらぬ限りの力を込め、自分の存在を全て僕に預けてきた。

彼女の心臓の鼓動が僕の身体全体を激しく駆けめぐり、僕の心音と共鳴した。

 その時の僕たちの抱擁は愛を確かめる方法ではなく、解けないパズルに遭遇した時のように、がむしゃらに進むべく方向を決定するための祈りにも似たアジテーションだった。

進むべく方向が解らなくても、あえて進路を取るための一歩を踏み出す、開き直りにも似た決意表明だった。

 どちらからともなく、いやむしろ彼女の方からだったかもしれない、本当の自分をどこかに置き忘れてしまったかのように衣服を激しく剥ぎとって、僕たちは相互の裸を晒し合った。

守るべき最後の一線として、表面化させず、お互い隠し秘めている心魂を探りあてるような執拗なペッテングの世界を彷徨い合った。

細かく書かれた文字を丁寧に拾うような愛撫で、誰に知られることもない二人だけの物語を紡いでいった。  僕たちは終わり方を忘れ、いつ果てるとも知れないデュオのように、身体の芯の核を突き刺すような感覚の拡がりに揉まれながら、息もきれぎれにお互いの存在を確かめ合った。

 触れ合った二人の肌の間を、身体全体から流れ出る微妙な吐息が通り抜け、霧雨に降られたような白い滴を残していった。



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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